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長文が読めなくなった話
ここ最近、長文を読むと目が滑るようになった。
ツルッと目が滑るのである。頭に入っても来ない。一度滑って、「ありゃ、こりゃいかん。」ともう一度読もうとして、二度滑る。
疲れているのか、何かに急いているのか、はたまた脳自体に読み取る機能がないのか。
気合を入れれば、私も読めはする。そう、気合さえ入れれば私だって。が、しかしである。
続かない。 気合が、続かないのである。
精々1ページ。気合MAXで意味を全て把握するとしても1ページ。それが限界。
これって、病気でしょうか?いいえ、老化です。<by母 >
話は変わるが、私には息子が二人いる。
上は小学校、下は幼稚園。上の子は毎日せっせと時間割を背負って学校へ行き、帰ってくるとランドセルを玄関にぶん投げて子供部屋に直行する。
ランドセルを開けるとまぁ、不思議。
大量のプリントがファイルに入れずにグッチャリ入ってる。
ここで、必要なプリントとその他の紙に分ける。
そこは非情に徹する。必要なものしか家には置けぬ。溜まるもの。
捨てる捨てる、大事、捨てる。頑張って書いただろう手書きのプリントがある、つらっと読む、ありがとうの気持ちと共に捨てる。家に残す残さないは我が家の死活問題なのだ。非情なれ、私。
しかし、この非情モードのままで必要プリントを頭に叩き込もうとするとダダ滑るのである。
学校のプリントは読み易いように作られている。ようで、そこにはトラップがある。
文書の中に太字ではない重要事項が紛れていたり、太字の後に変更事項や追加持ってくる物が記入されていたり。
学校のプリントは初見殺し
日常、目が滑る私に残された道はひとつ。
何回も読む。
冷蔵庫に貼り付けて、何回も読む。
何なら携帯で撮る。待受にしてやる。
あとはもう、人に聞く。確信が持てない時は、聞く。しゃーない。
新聞も、Web記事も、学校のプリントさえ読み飛ばし、今日も「大体わかった。」(解ってない)を繰り返す。
罪深い生き物である。
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