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チョムスキーとの対話 2チョムスキーとの出会い

 ここで簡単に、私がチョムスキーに興味を持つようになったいきさつを書いておきます。

 私が渡米したのは、世界がミレニアムに沸いた直後の新世紀。東京で勤めていた会社を退職してサンフランシスコ郊外に引っ越し、アメリカでは翻訳をしようと通信教育などで勉強していました。IT関連のノンフィクションの下訳などをしていた矢先、911の同時多発テロが発生しました。

 それからしばらくして、サンフランシスコの書店で夫が「この人MITの先生で、すごいらしいよ」と指さしたのが、平積みになっていたチョムスキーのUnderstanding Powerです。

 私はそれまでフィクションが好きで、もっぱらスタインベックやロンドンの作品を読んでいました。どちらも弱者の観点から社会の矛盾を描く作家なので、チョムスキーに通じる道すじはついていたのかもしれません。

 普段プログラミングのテキストに向かっている夫が私に本を勧めるのは珍しいことでした。その彼がそうまで言うならと買って帰り、何げなく読み始めたその時の衝撃を、私は一生忘れないでしょう。

 日本にいるときも渡米してからもうっすらと感じていた居心地の悪さや、疑問とも思っていなかった疑問が、そこには鮮やかに解き明かされていました。どこにも書かれていない、だれも口にしない、もしかしかたら私が目にしたことのないだけかもしれない、先進国の不文律や紳士協定の数々。チョムスキーはそれを教室で板書でもするように、いともあっさりとエレガントに説明しているのでした。そこで明かされている、史上初の本土へのテロ攻撃に深い傷を負ったアメリカのあり方にも、深く納得がいきました。

「うわー、この人すごいよ」

今度は私が夫に言う番でした。

 私が圧倒されたのは、さらにチョムスキーが「この様々な問題を抱える社会において、人は何をするべきか」という問題を読者に問いかけているところです。

「私の言うことも鵜呑みにするべきではありません。自分の将来は自分で決めるしかないのです」ーーとてつもなく重い責任を読者に任せる彼の話は、人間に寄せる深い愛情と信頼と希望に満ちています。

地獄から来た会計士

現存する中で最も重要な知識人

マルクス、シェークスピア、聖書と並んで、最も多く引用されている出典の一つ

 賞賛と畏怖をもって語られる言語学の巨人。そのもう一つの顔である平和活動家としての彼に、私は強く惹かれました。そして「いつかはチョムスキーを訳してみたい」と考えるようになりました。

 そして今思うと信じられないような幸運ですが、ソジャーナが息子を取り返す裁判で経験したような不思議な縁がかさなり、その後すぐチョムスキーの作品を翻訳するチャンスがめぐってきたのです(『秘密と嘘と民主主義』)。さらにそれは私が最初に手にした Understanding Power(『現代社会で起こったこと』)、ジェーン・グドールの作品(『健やかな食卓』)の翻訳へとつながりました。

 数年後、何かに引き寄せられるようにマサチューセッツ州に引っ越した私たちは、チョムスキーや彼の盟友である故ハワード・ジン(ボストン大学教授。公民権運動、ベトナム戦争反対運動などに尽力)などの講演会に足を運び、彼らの話を直接聞くことができました。そうしたイベントに参加するうち、チョムスキーとのインタビュー権をオークションで競り落とすという、千載一遇の機会を得たのです。

 そのあと高齢出産で二児を授かり、しばらく育児と仕事の両立を図ろうとして無残に失敗したあと、育児に専念することに決めたのが10年ほど前。月日は流れて下の子が去年中学に上がり、コロナで閉塞していた状況もあったものか、突然またムラムラと「翻訳をしたい、ものを書きたい」という衝動がわいてきました。

 出版社のつては途切れているので、自分で版権の切れた作品を訳して発表してみよう。そうしてNoteで世に問うたのが『緋色病』と『ソジャーナ・トゥルース』です。最近また何度かチョムスキーのイベントにオンラインで参加することがあり、インタビューの経緯をまとめた原稿もとってあったため、これも次に掲載してみようと考えました。

 米津玄師が「きっと思いは叶うなんて嘘」と物憂げに歌うのを聞くと、そりゃそうよね~と流されそうになりますが、私は強く願えば、そして懸命に努力すれば、多くの思いは叶うと信じています。

 チョムスキーの翻訳。十数年前の私にとってそれは、とても手に届きそうもない壮大な夢でした。

 この記事がみなさんにとって、「今自分は何をすべきか」について考えるきっかけになれば幸いです。

続く

 (写真:Understanding Powerに出会ったサンフランシスコの独立系書店、ステーシーズの袋としおり、ジャック・ロンドンの The Cruise Of The Snark。筆者はこのステーシーズ・スペシャルに散々世話になった。創業1923年の老舗で理系の夫も文系の私も垂涎の名店だったが、オンラインコマースとの競争に勝てず2012年に閉店。シリコンバレーの牙城、マウンテンビューの支店も閉じた。日本で言うと、青山ブックセンターで思想とIT関連をさらに充実させたような品揃えだった)

http://universitybookstore.blogspot.com/2009/01/staceys-bookstore-in-memoriam.html


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