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綺麗にすることは生きること。

何かを綺麗にする行為は、生きようとしている姿なのかもしれないと思った話。

部屋の掃除も自分の裸も言葉使いも心の状態も何もかも、どれも自分のためでもあり、誰かのためにも繋がっている。

「装うとは他人を気遣うこと」という言葉を時折思い出す。小説を読んでいて出会った言葉だった(どの小説かは覚えてない)。清潔感だったり、相手との距離感を表していたりもする。容姿の綺麗さだけでも自分の自信と相手への印象に関係するのなら、生きていく上での行為に必要な努力と言えるかもしれない。

「あまりにもつらいことが重なった時、部屋を片付ける気力も出なかった」
これも本の中で呼んだ一文だけれど、生きているとこういうことは誰にでもある。けれどこの一文でふと気づいた。綺麗にしようと動けている時は、生きていることを感じれる瞬間でもあるのかもしれない。私自身、つらい時は片付け以前にお風呂に入る気力すらなかったこともある。

何より、綺麗にするということは明日を見れている証拠でもある。極端な話、今日死んでもいいと思って毎日生きていると明日に繋がることをしたいと思えない。私の経験上ではあるけれど、病んでいる時にもう少し生きてみてもいいかなと思えた日は、ゆっくりお湯に浸かり、ゆっくり体を洗っていた気がする。そんな、時間が止まったような世界に生きていた過去を思い出して、つい書き出してみたくなった。吐き出しているとも言えるかもしれないけれど。

そして最近、自分の家が好き。好きが故にお掃除が楽しいし、お掃除をするからさらに好きになれる。自分がいるべき空間があるのは幸せね。

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