本を戻してパンティを買う。
青い装丁に小さな題名が施されたその歌集は、本棚の目立たない位置にひっそり佇んでいた。
本のサイズもさほど大きくないその一冊は、周りの画集やら絶景集の色鮮やかさに負けそうになっている、はずなのに、瞳のもっと奥まで届かせようとするその青さは海そのもの。自身の親指の大きさが目立つくらいの書物であるそれは、サイズ感を錯覚させられてしまいそうなほど全てが真っ青でどこまでも鮮明に美しい。
これは書いたい。私の部屋の本棚でも空気を読まずにその青さを放っていてほしい。そう思ったのに、二千円ほどのその本を棚に戻してしまった。今はまだじっくり愛読したい歌集があるし、積んである小説の海は我が家で広がり続けている。そう思うと、つい、右手が欲を断ち切った。
「本は私が必要とするそのときまで、じっと動かず、静かにそこで待っていてくれる」と書いた村井理子さんのお言葉を思い出し「いつか絶対お迎えに上がるから、どこかで待っていて」と、元いたであろう隙間へ押し戻して店を出た。
あの海には何人もの歌人が集結していた、所謂アンソロジーと言われるもの。きっと手にした者に凄まじいえいきょうを与えるに違いない。装丁も美しい。そのお色だけでも私を刺激した一冊。それを差し置いて次にこの右手が掴んだものは────無地のパンティ。
いつか履いてみたいなぁと前々から思っていたのでなんて事はないのだけれど、歌集は戻してパンティ一枚は買うという、夏から冬へ一気に切り替わったような不安定感につい、恥ずかしさみたいなものを感じてしまって書き出したくなってしまいました。
書店にいた時からずっと私をつけてる人がいたとするなら「あんなに大事そうに青い本を持ってたのに、最後にパンツだけあっさり買うのね」とクスッと笑われているかもしれない。そしてその人もきっと思い出として、私と同じパンティを買って帰ると思う。ないか、ないね。そもそもそんなストーカーは私にいないのだから。
『このパンティを履いた私は、文学の才が跳ね上がる。文学の精とでも言いましょうか、これはそういう類の代物に成り変わったのです。あの海に私の指紋が残ったのならば、私の指にも透き通るような海水が残っている。であれば、私は歌人の才が宿ったようなもの。いつの日か私は素晴らしい文章を書くでしょう。そしてその日、筆を置いてお身体を洗おうと立った際に「やはり」と言ってもう一度崇めることになるのです。その翌日には青い装丁をもう一度手にする』
...なんて、ロマンチストの頭はいつでも文学者なようです。
たくさん履いて、たくさん洗って、たくさん歩こうな。こんな空をもう一度見せてやる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?