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「好きだった」に浸る数秒間。

文章には表情も性格も染み付いているもので、その人の息まで伝わってきそうだ。実際に会ったことがなくても文章を追っているだけでその人の細部まで知っている気になり、想像世界は読者だけのものであるから、この人をほんとに理解しているのは自分だけなのだと錯覚まで起こしてしまう、なんてこともある。恋は盲目なんていうけれど、まるで恋しているかのような目で視線が撫でる。

知名度に影響されず誰でも物書きとして世に発信できる時代だからこそ、個々にとっての偉人がどこかに埋もれていて、恋にも似た火を灯してくれる。

noteに限った話ではないけれど、私にも密かに想っていた物書きさんが何人かいらしたし、今でも数人好きな物書きさんはいますが、所詮SNSと言ってしまっては聞こえは悪いけれどいつでも姿を消せてしまう心許ない場所だからこそ、いつの間にか居なくなってしまった人も。

ふと思い出してアカウントを探しても検索に引っかからない。あの人も書かなくなってしまったのか...と寂しい思いを馳せる瞬間にどんな文章を書く人だったか、栓が外れて止めどなく流れるように思い出せてしまう。

「好きだったのになぁ」なんて胸の裡で溢してみても遅い。せめてもっとコメントなどでメッセージを贈ってもよかったのにな、と後悔する。

たまに「なんでこんなに素敵な文章を書くのに評価の数字が少ないんだろう」と思うことがあり、そういう人に限って私の心を虜にする。その人にとって評価の少なさがやるせなくて辞めてしまったのか、それとも全く関係ない別の事情か、それはわからないけれど、もっと魅せてほしいと焦がれるならもっと彼の言葉を咀嚼して、美味しさを共有すればよかった。

そしてもう一度恋したように思い返しては「もういなくなった彼を知っているのは私はだけ、こうして想っているのもフォロワーの中できっと私だけ」と虚しい優越感に浸る。

けれど、後悔は刹那。そんな別れの情もまた美味しいと思ってしまう。「好きだった」がもたらす刺激は私の欲へと変化する。執筆欲、観察欲、そして次の求愛への生命力。

過去を思い返し沸騰する感動は最高潮の数秒間がいい。アイスクリームのてっぺんをスプーンで掬う時のような、一瞬の、美味しいと味わう前の美味しさがいい。

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