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そこにないものを話す時。

何処にいて誰といるかで会話の内容も違えば、見せる自分もテンションも違うことがあるように、言葉の通じ方も違う。通じ方が違うのに全部同じように話していては想像してほしいことが何も伝わらないまま曖昧な返事しか返ってこない、なんてことが起きてしまう。話の面白さ以前に伝わるように話しているかが重要なのではないかと最近よく思います。

とある小説の一節で「そこにないものの話ができないのはしんどい」という台詞があり、私はそれを何度も読み直して胸に刻んでいました。強い共感を生んだ文章はつい何度も読んでしまいます。

今二人が目に見えている物や景色について語らうのは見たまま思うままに言葉にすればいいけれど、過去のことやそこに居ない誰かのことを話すときの説明は必要不可欠で、稀なことを話す場合は特に普遍的に話さなければ面白くないし何も想像できずに終わってしまう。

この人との会話は飽きない、と思う人はそこにないものの話がしやすい相手なのではないかしらと思うのです。いちいち「これ伝わるかなぁ」なんて脳から声までの間を空けずにすぐ喋りたくなる相手はとても心地いい。

小説や歌詞、エッセイ、どれをとっても言葉で特殊を魅せる時、いかに普遍的であるかは大事なのに私もそれを忘れてしまっている時がある。反省点。けれど自らがそれを意識してからは相手が話す内容にもそれを考えてしまう。

「結局この人はどのシーンを主役にしたくて話してるの?」

この疑問が浮かぶと自分の理解力が追いついていないのではないかと不安になることもあるかもしれないけれど、伝える側にも間違いなく問題はあるわけで、せっかくの思い出や面白話が純度低めで空気を泳いでしまう。

聞き上手は話し上手とも言うけれど、どちらか一方だけに長けてるなんて人はほんとはいないんじゃないかしら?

そんな目で芸人さんを見てみるとやっぱり上手いなぁと思いますね。当たり前かもしれませんが。書けるだけじゃなく、声で日本語を巧みに使える人は素敵だなぁと最近つくづく思います。

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