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父親みたいになるくらいなら。

私は父親からモラハラを教わりました。

父親とすら呼びたくないほど怪訝していて、声を聞くだけ、姿を見るだけで拒絶反応を起こして吐き気が襲うような人になってしまったけれど、今では反面教師として思い出すことで人間性に影響与えてくれていると思ってます。

時にはDVをするような人でしたが、体感としてはそれよりも日常にあるモラハラの方が恐怖心を植え付けるものだと知りました。道徳がない、と断言してしまえるほど思考回路が不思議で全く理解できない言動ばかり。おかげさまで秒単位で安心と不安が波打つ環境でした。

家の中で聞こえる物音のすべてが父親が動いた音だと錯覚してしまって、あと何秒後に目の前に現れるのだろうかと考えてしまう。たとえ家に自分しか居なくてもいつ帰ってくるんだろうと考えるだけで、心から安心できる瞬間はほとんどありませんでした。

細かい言動の蓄積が人を苦しめてしまうのであって、当時は父親のなんの言動が一番怖いのかすらわからなくなっていたと思います。故に、誰かに相談しようとしても体験しないと伝わらない怖さがあるため、足らない言葉で説明しても「こうすればいいじゃん」「こう言えばいいじゃん」という声しか返ってこない。仕方ないことなのはわかっているけれど、その返しにすら「何もわかってない」と八つ当たりしてしまいそうで怖かった。

中学から高校卒業、その後の数年も関係は変わらず。約10年間の時を経て、変わっていたのは私だけだったことに気づいた。

人に注意や意見を言うのが苦手になってしまった。無意識なうちに自分の声が相手の重荷になってしまわないだろうかと考えると何も言えなくなってしまう。過去のトラウマとも呼べるかもしれない。

そしてモラハラ人間に限って「こいつは自分の意見を全然言わない」って苛立つ。意見したらしたで素直に聞かないくせに。「どうせ」が相互にあり、見えないけれどぶつかり合っていて火花が絶えない。熱くて触れようともしなくなるのに気づきもしないで。

それでも私は、何も言えなくなってしまっても誰かに恐怖を与えてしまうのなら言えなくていいと思ってしまう。恐怖心を植え付けることが何よりも怖いのだから。

全く理解できない言動に怯えると、ほんとうに同じ人間とは思えない。

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