「日常生活」のある未来
あの有名な猫型ロボットがいれば、もしくは超能力的に未来を予知できれば、未来のために、動き始める人は少なくないと思う。そんなアニメやSF映画の世界の中で、未来は表現されるため、現実世界において、その実態がはっきりしない側面もある。ただ、科学の進歩は、確かに、未来を具体的なものにしてきた。来る未来に対して、警鐘を鳴らす人もいれば、ピンと来ない人もいる。ワクワクするような未来都市を創る人もいれば、変わらない日常生活を過ごしている人もいる。地球温暖化、月面生活、空飛ぶ車、宇宙旅行、どれも私たちの未来で起こり得ることだが、別に全員が同じ未来を見ているわけではない。私たちは、それぞれの未来に不安を抱き、夢見ながら、いまを生きている。
私は、常に想像の先を行く未来に対して、準備しようと心がけている。明日、「南海トラフ」のような自然災害が起きれば、未来が急に現実となる。その一方で、「地球温暖化」のように、旱魃や洪水が起きている現実世界が未来に近づいているケースもある。私にとって「未来のためにできること」は、後者の方の目の前で起きている現象から、自分の生活を振り返り、改めて備える事である。
人間は誰もが「日常生活」を営んでいる。衣食住の基本的ニーズに加えて、モノを消費する。学校や職場に行き、クラスメートや同僚に会い、勉強し、仕事する。日本人の生活感覚だと、この「日常生活」が脅かされるのは考えづらい。なぜ日本では、そのモノやサービスを「日常的」に利用する事ができるのか、この身近なところから出発して、日本人の生活感覚を一緒に考え直す。何を介して、日本は世界と繋がっているのか、世界に依存する「日本」と豊かな日常生活を享受する「日本人」は、どのような現実(世界で起きている出来事)の上に成り立っているのか。それを事実として見聞きする「ニュース」から、自分たちの将来を考える「材料」として、教育の場で議論する事は、「未来のためにできること」を始める一歩目になると信じている。
私は、栃木県那須塩原市にある「アジア学院」での生活を経験して、学んだ事がある。それは、農作業、寮生活、英語、料理、礼拝や祈りなど、学院のモットー「共に生きるために」につながる日常生活がある事。支え合っている安心感は、新しい生活感覚だった。この原体験のような感覚を共有できるような未来にしたいと思う。
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