ヨガとは?

ヨガについて、入門編、基礎編、中級編、上級編に分けて解説していきたいと主ます。まずは、皆さんにもわかりやすく入門編から。

「ヨガ」とはサンスクリット語で「つながり」を意味しています。心と体、魂が繋がっている状態のことを表します。呼吸、姿勢、瞑想を組み合わせて、心身の緊張をほぐし、心の安定とやすらぎを得るものです。具体的には「調和」「統一」「バランス」を意味し、体・心・呼吸・食べ物など、あらゆるカテゴリーと関係しています。

さて、ヨガとは何か、一言で言ってしまうと、入門編の段階では、本来の自分を知って悩みなく、明るく生きるための自分の取扱説明書のようなものだと思って良いと思います。

では、どうして本来の自分を知る必要があるかというと、一時期「自分探し」という言葉が流行しましたが、自分を勘違いし、自分について拡大認識してしまい苦悩、苦痛で苦しんでしまうことがあるからです。この自分を勘違いして本当は感じなくて良い苦悩や苦痛から解放されるために、本来の自分を知る必要があるわけです。

具体的な例でお話ししましょう。ヨガを実践されようとされる方でも非常に多い悩みの一つが、「太ってしまった!」という悩みでしょう。こんなカラダは本来の自分じゃない、と感じてしまいますよね。私も鏡を見ると、二十代の頃の自分の体型を思い出して、今の私は「本来の自分ではない!」と鏡に恨み言をいってしまいます。

次に、多くあるのが、「頭痛や肩こりなどの痛みがあるけど、これも本来の自分ではない!」というものでしょう。確かに、先天的な疾患を除いて、頭痛や肩こりなどは「本来の自分ではない!」と感じることでしょう。私も交通事故で、顔面骨折をして三叉神経を痛めてしまい、24時間、寝ているときですら、右頬をハンマーで殴られているかのような痛みが走るのですが、この痛みは「本来の自分」に備わっていたものではない、と悔しく思います。

最後に、ココロの時代でもある現代でよくあるのが、悲しい気持ちや心が病んでしまい、悲痛な気持ちでいること、でしょう。「こんなに悲しい自分は、本来の自分じゃない!」と思いますよね。だから、悲しくなるのです。

さて、ここまでよくある悩みについて触れてきましたが、皆さんお気づきでしょうか?どれも全て、観察する自分と観察される対象という風に二つにわかれているのです。つまり、鏡を通して見た太っている対象としての自分、五感を通して感じるコンディションの対象としての自分、何かの原因に悩まされて悲しくなっている自分を、もう一人の自分(=本来の自分)がその様子を眺めているのです。

ヨガ哲学の基本はこの認識に気付くことにあります。今お話しした、観察する自分と観察される対象としての自分、この二つを意識し、観察している自分こそが「本来の自分」であるということに気付くよう促すのがヨガの目的なのです。カラダ、コンディション、苦悩や悩みを切り離し、苦しみから解放されることがヨガの第一の目的といえます。

『ヨーガスートラ』にはこう書いてあります。本来の自分を知らずにいると、自分をカラダや心といった対象(モノ)と思い来い、カラダやココロの限界や苦悩が、いつのまにか自分そのものの苦しみとなってしまう、と。

カラダは怪我をしたり太ったりしますが、本来の自分は別に怪我をしても太ってもいません。体調は辛いことはあるかもしれませんが、それは本来の自分とは無関係です。失恋や挫折を味わったかもしれませんけど、だからといって本来の自分は駄目な存在ではありません。

本来の自分あ自分の人生を楽しむためにこの世に生を受けており、本来の自分以外のものは、ココロやカラダですらもいわば舞台装置のようなものであり、出来事はストーリーでしかありません。本来の自分を見失って、徒に「太っている」「頭が痛い」「心が傷ついた」といって、目先の対象(モノ)に自分が縛られてしまう生き方ほど苦しいものはありません。

ヨガの実践というのは、深い瞑想や熟睡を通して、そのような対象としての自分から離れて、自然と本来の自分と一体となる訓練なのです。

ただ、ここで一つ注意点も。本来の自分の気付くこと、それはとても大切です。今、ココにある対象としての自分から離れ、本来の自分に気付き、気持ちを明るく、楽しく日々を生きること、大事ですよね。

でも、だからといって、対象としての自分を放置するのも、正直あまり好ましいことではないですよね。「太っている自分」「頭痛のする自分」「失恋した自分」もできれば、治していきたいものです。そこで、ヨガは瞑想だけではなく、ヨガの行法を実践して、抱えている問題(対象としての自分)も徐々に本来の自分へ変えていくことを目指しているのです。

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