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都市のこと、人のこと


思い浮かべるのは夜明けの都市。人通りも車通りもまばらな早朝の街路。早起きして犬の散歩をしたりしている人、新聞配達をしている人と挨拶をかわして、ランニングをしている。建物の向こう側で少しづつ明るくなってゆく空を見る。コンクリートからの冷えた空気を受けて、温まった体を感じる。吐いた息が白く濁る。季節の移ろいを知ることになる。

これは山間で眠りについた10代の時の、うちがみた夢。うちは都市の生活に憧れをもっていたらしい。でも、初めて10万人以上の人が暮らす街に住んだ高校生の寮生活は、とにかく散々だったし。初めて仕事をもって一人暮らしをした北海道の都市では、かなり人間関係に恵まれて、仲良くしてくれる人が多くいたにもかかわらず、自ら去らざるを得なかった。こういうことが何回かあった。うちは生活が続くことを楽しめないようだった。


うちは小さい頃から、スギとヒノキの木々がうっそうとした山のなかで育った。星がよく見えるところだった。バスに乗る時は整理券をとらねばならないと、高校に通った街で初めて知った。むろん交通系ICカードなど知らない。電車の切符を一人で買ったのも、高校生になってからだった。それまではバスも電車もない生活をしていた。人は数えるほどしかいなかったし、それら人について、スギやヒノキと何ら変わった印象を持っていなかった。木が土地に生えては枯れるように、人もただそこにあっていずれは死んでいくもので、うちにとって特別な何かではなかった。

いくらか都市の移動を繰り返して、それなりに多くの人と知り合って、感じたことがある。

うちは人間関係という井戸から水をすくうための、器(うつわ)を持っていなかったということだ。都市で働きながら暮らしてみて、うちと、もともと都市で生活していた人では、人間関係の現場におけるふるまいの違いがあることを感じた。あくまで人によるけど、明らかに私よりも、一人一人をこまかく認識している。人との接点を喜んでいる。“本当にいいことがあった時の顔”を、人との関わりのなかで見せられる。そんなふうに見えた。うちには、今も、そういうことがないように思う。

なんでそんなにちがうの?と考えざるをえなかった。
うちが考えたのは、次のようなことだった。

コンクリートなどの硬い表面で四方を覆われた都市において、人間は数少ない「やわらかいもの」の一つだ。やわらかいものに触れ、生命を感じ、それに触発される形で自らの息づきを感じとるように、人間はできている。だとすれば、その“生きてる感じ”への飢餓度が高いのが都市だ。幼い頃から都市という“生存感の砂漠“で、人を砂漠のオアシスのように感じて育った人は、人間関係という井戸から豊かな恵みを汲み取れるように、自前の器を次第に適応させてきたのかもしれない。私が、”人が誰もいない“という状況にいつのまにか適応してきたように。

一人でいる時について言えば、うちの時間はそれなりに充実している。森や川や、きれいな空があれば、うちは息づいていられる。でも、一人きりでずっといると、やはりつまらないし、誰かに会いたくなる。そうしたときに、よく困ったものだった。誰とどうやって過ごしたら楽しいのか、嬉しいのか、自分でもわからない。人に関わることの良さが、見えてこない。楽しいはずのときに、楽しくない。気を遣って疲れるだけだったりした。

最近はどういうわけか、場数を踏んだからなのか、少しだけマシになってきたみたい。だけど、うちの器にはまだ改良の余地があるんだろうな、と感じる。

今日より明日、人間のことが、好きでありますように。

2020.1.17 Mizuki

絵を描くのは楽しいですが、 やる気になるのは難しいです。 書くことも。 あなたが読んで、見てくださることが 背中を押してくれています。 いつもありがとう。