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旅する夢。

ゆめは、
いつの間にかどこかへゆく。
ような気がする。

夢は、叶うことを欲している。けれど
それをかなえる者は、
どうやら誰でも
構わないのだ。

だから、叶えてくれる場所へと旅をする。

「わたしの、夢」
などという確固としたものは
ここにはなくて。

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昨日の脳裏によぎった夢は、
今日誰かの右手に引っ越して
叶う、という欲望を満たしている。

夢の通り道になって
いつまでも夢の通り道でしかない僕は

そのことをずいぶん長い間
残念なことだと思い続けてきたようだ。

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けれどもこの傾向は、
どうやら夢の持つ
お立場というか、性質だと
最近あきらめてきた。

水が高所から低所へと不可逆的に流れ落ちるように。
夢は叶えてくれそうな場所へと
絶えず移動を繰り返しているのかもしれない。

僕も実は
誰かから到来した夢の
流れ先となったことがあるのだと思う。

例えば、

先日はヤシの木に登ってココナツを収穫する仕事をしたけれど
これはあるとき雪国に住む誰かが、
(本を読んだりして)南国の生活を思ったときに、

いいなあ、やってみたいなあ、と心から思ったこと、
かもしれない。

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ミツバチに運ばれた花粉が、
運ばれた先で受粉して結実するように。

実った果実が、
小鳥のおなかに収まって、旅をするように。

夢って
そういうふうに
旅をするものなんじゃないかな。

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だから、アイデンティティ、などというものに
本当は
あまり親和性のない概念。

ぼくは勘違いして、苦しくなりがちだったけど、
自分のことを
自分の夢を生んで放つ器、誰かの夢を宿して育む器だと考えたなら、
そう残念なこととも思われない。

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夢は、この体で、この場所で芽吹かなくても
いいことなのだ。

むしろ、思い切り遠くに旅して。
ココヤシの実が海を渡って
対岸で芽生えるように。

そして、時を経て
変化して違う夢になって、
戻ってきてくれたら嬉しい。
そのときにぼくが器となれたなら。


この体に起こった出来事は、
きっと誰かの夢。
一緒に遊んでくれて、
ありがとう。


31years old,8.4 Mizuki


絵を描くのは楽しいですが、 やる気になるのは難しいです。 書くことも。 あなたが読んで、見てくださることが 背中を押してくれています。 いつもありがとう。