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その絵は神に至る!? ~芸術・芸能の神  小野篁~

早いもので9月になりました。暑い日が続きますが、朝晩は暑さが和らぎ、過ごしやすくなってきたように思います。

これからますます涼しさが増して秋を迎える頃ですが、紅葉を楽しむはもう少し先…。

のはずなのですが、芸術・芸能の神様である小野たかむら公がひと足先に紅葉を描くと、青々としたモミジやイチョウはみるみると秋色に彩られます。

奇跡を目にして喜ぶ神社の動物たち!

今日は、今月授与されている「画之神えのかみ」特別御朱印に込められたお話を紹介します♪



◆「画之神えのかみ」特別御朱印


「芸術芸能の神」として信仰されており、絵の神様でもある御祭神の小野篁公

博学広才はくがくこうさいニシテ ひとおよ所也ところなり また かみいたル」

江戸時代には、日本初の画人伝である『本朝画史ほんちょうがし』(狩野永納 著)に「博学広才にして人の及ぶところではない その絵は神に至る」と評されています✨

そんな篁公の芸術性は留まるところを知らず、彫刻にも長けており、篁公が彫ったと伝わる仏像は各地に伝わります。

また文筆にも優れた篁公は、後世の手本となった程の能書家でありましたし、その文才は、六国史の1つである『日本文徳天皇実録にほんもんとくてんのうじつろく』にも「天下無双」と記されている程の傑出したものでした。

漢詩全盛の時代に漢詩は「日本の白楽天」と称され、そうした環境の中にもかかわらず和歌も『百人一首』にも撰されるなど歌人としても活躍

※白楽天(=白居易はくきょい)
唐代中期の漢詩の名人で、清少納言も『枕草子』にて「文は文集(白楽天の漢詩集『白氏文集』のこと)、文選、はかせの申文」と述べるなど、日本の平安文学にも多大な影響を与えた人物です。

芸能・芸術・仕事の神様として広く信仰がある御祭神小野篁公。

「画之神」特別御朱印では、まさに平安のマルチアーティストといった「芸術芸能の神・小野篁公」の御神徳を、箔押しとUVラメで煌びやかに表現しております。

この機会に篁公とともに、芸術の秋をお楽しみ頂ければ幸いです♪


◆ラブレターが国選書に収録されてしまう文才

篁公の学芸にまつわる逸話は多くありますが、中でも自分の書いたラブレターが、模範となる文章を編纂した『本朝文粋ほんちょうもんずい』という “平安中期の名詩名文集に収録されてしまう”という嘘のような本当の逸話が残っています。

若くから才能の頭角を現していた篁公ですが、父は天皇の待読も務める信任も厚い右腕でしたので、若い頃は弓馬に夢中になりすぎてしまい嵯峨天皇に嘆かれていたことも……。

それを受けて一念発起した篁公!

18歳を過ぎて勉強をはじめ、わずか3年あまりで当時最難関であった文章生試もんじょうしょうしに合格してしまいます。

そして文章生試に及第したばかりか、その後すぐに藤原南家の大臣の姫君と結婚することとなります…✨

上級貴族である藤原家の大臣が、政治的にも価値のある娘を家格の釣り合いもとれない身分も低い大学寮の学生に嫁に出すなど考えられない時代です。

なぜ、篁公は結婚できたのでしょうか?

当時の求婚は『和歌』を直接相手に贈ることが常識でしたが、篁公は父である右大臣に当時朝廷で隆盛を誇った『漢詩』で書かれたラブレターを贈ました

このラブレターはただの求婚書ではなく、篁自らの学識を示すべく“中国の故事や名著からの抜粋をふんだんに用いた”格調の高いもので、右大臣に文人としての圧倒的な素養を認めさせることに成功し、不可能を可能に変えたのです。

また、この時のラブレターは、『本朝文粋ほんちょうもんずい』という “平安中期の名詩名文集に収録されてしまう”という嘘のような本当の逸話が残っています。

多くの逸話が残る「芸術芸能の神様」 小野たかむら公。

なかなか平安時代のことを現代の感覚で捉えるのは難しいことですが、篁公は常人離れした興味深く面白い話が多いので、そのご足跡を御朱印にしたためながら、少しずつお話できる機会を作っていければと思います♪


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