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「子子子子子子 子子子子子子」でなんと読む?【小野篁広才のこと】

今月の「小野たかむら」特別御朱印は、当社御祭神である小野篁公にまつわる逸話を基としています😊


「子子子子子子 子子子子子子」

子が12個並んだこの言葉、皆さまは何と読みますか?


篁公が20代前半の頃、時の天皇であった嵯峨天皇にこちらの言葉を読むよう申しつけられます。
どうしてそんなことになってしまったのでしょうか……?

今回は宇治拾遺物語うじしゅういものがたりに収録されている「小野篁 広才こうさいのこと」を中心に、篁公の数々の逸話をご紹介します☺

6月授与の御朱印についてはこちらをご覧ください🎵


◆若き日の小野篁おののたかむら


篁公の父 小野岑守みねもりは漢詩に優れ、時の天皇であった嵯峨天皇の侍読も務めた懐刀。偉大な父に続くものと期待を受けていた篁公ですが、弓馬に夢中になりすぎてしまい嵯峨天皇に嘆かれます。

そこで一念発起した篁公!

18歳を過ぎて勉強をはじめ、わずか3年あまりで当時最難関であった文章生試もんじょうしょうしに合格してしまいます。

当社の御配神である菅原道真公もこの時代から約50年後の文章生試にわずか18歳で合格したという歴史的な記録があります。
菅原家は家が私塾を経営しており、幼少の頃から学問に励んでいた という恵まれた環境も背景にあるものですが、弓馬のあそびにのめり込んで勉強をしていないところからの3年での及第(合格)は、誰もが耳を疑う前代未聞のことだったようです。

しかし、ここで話が終わらないのが神のくらいまで至った篁公の篁公たる由縁です。

わずか3年で文章生試に及第したばかりか、その後すぐに藤原南家の大臣の姫君と結婚することとなります…!

上級貴族である藤原家の大臣が、身分も低い大学寮の学生を娘婿に迎えることは考えられないこと。
当時の求婚は和歌を直接相手に贈ることが常識でしたが、篁公は父である右大臣に漢詩で書かれたラブレターを贈り、自身の才能を認めさせるというウルトラCを実現し、不可能を可能に変えたのです。

また、この時のラブレターは、『本朝文粋ほんちょうもんずい』という “平安中期の名詩名文集に収録されてしまう”という嘘のような本当の話…!

このことにより篁公は、二十歳そこそこという若さで、漢学者・漢詩人としての一歩を踏み出したと同時に、「上級貴族の娘婿」という、貴族としての生活環境も手にいれたのです。

そんな篁公は、嵯峨天皇の大のお気に入りでもありました。


小野篁 広才おののたかむら こうさいのこと


ある日、"内裏だいりに立てられた謎の高札こうさつの落書|《らくしょ》が世間を騒がせる" という事件が起こります――。

内裏内に人目につくように設置された札には、「無悪善」と書かれておりましたが、この意味深な「無悪善」という言葉を宮廷のほとんどの人は理解できずにいました。

嵯峨天皇に呼び出された篁公は、「無悪善」の「悪」の字は「さが」とも読むことに気付いて「悪(さが=嵯峨天皇のこと)無くて善からん」と読み解きますが、天皇を批判する文章を御前で読み上げるわけにはいきません。

「構わぬから申せ。」

と何回も嵯峨天皇が仰せになられるので渋々申し上げると、やはり「これは、機知に富んだお前以外に誰が書けるというのか?(誰も書けまい)」と、篁公自身が疑われてしまうという窮地に立たされてしまいます。

そんな篁公に、嵯峨天皇は「ある難題」をつきつけます。


◆「子」が12個…一体なんて読む?

 

「子子子子子子子子子子子子」

嵯峨天皇は、全部で12個の「子」で構成された短文を篁公に読むよう命じました。

難題ですが、ここで読めないとなるとますます嫌疑が強まるといった状況にも、さすがの篁公。

子は「ね・こ・し」と読めるので、それを組み合わせて「猫の子、猫。獅子の子、獅子」と読み、ピンチを切り抜けたのです。

嵯峨天皇も篁公の解釈を聞いて笑顔を見せ、この件は穏便に収まったのでした。

この事件が起こったのは篁公が若干22歳のこと。
この若さで、時の天皇相手にここまで機知を働かせられるのは流石、といったところですよね。

篁公の人間離れした才能と所業を裏付けるエピソードのひとつです。

また、平安時代の説話集である『江談抄ごうだんしょう』にも、小野篁公と嵯峨天皇の関係性が伝わる逸話が記されています。

嵯峨天皇が戯れに本場の唐で一世を風靡した漢詩の名人であった白居易はくきょいの詩の一文字を改変して篁公に示したところ、篁公はその一文字のみを元の文字に添削して戻したというもの。

小野篁公は「日本の白楽天はくらくてん(=白居易のこと)」であると漢詩の腕を称賛された文献も残るなど、篁公は日本の漢詩の歴史の中でも最大級の賛辞を受けた詩人でもありました。

こうした漢詩や和歌にとどまらず、書道、絵画、彫刻…と、あらゆる芸術分野に長けた平安のマルチアーティストであった小野篁公。

当社はその神霊が祀られる神社として、今も芸術や芸能の分野で大成を望む方々から篤く信仰をいただいております。


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