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「菅原道真公のご生涯」と「月の名歌」

小野照崎神社

お月見シーズンがやってきましたね!

令和4年は9月10日が「中秋の名月」、これからだんだんと月が欠けていって、来月10月8日には「十三夜」を迎えます。

9月の「月詣」特別御朱印でも、月をモチーフに、御祭神の小野篁公、御配神の菅原道真公や神社の動物たちが大きな月を眺めて月詣♪

季節のさまざまな美しい情景の和歌を多数詠まれてきた道真公。

「月詣」特別御朱印には新古今和歌集に撰された、当社御配神・菅原道真公の珠玉の和歌があしらわれています。

濡れ衣を着せられ配流された自らの身の潔白を詠んだ悲しい歌ながら、道真公の特出した才能が輝く美しい歌です。

今回はそんな道真公のご生涯に注目し、道真公の和歌について解説します!


道真公月の御名歌の情景


海ならず たたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ(新古金和歌集)

【訳】
海より深い水の底にあろうとも、一点の曇りもない私の潔白な心を、月が照らして明らかにしてくれるだろう。

こちらは道真公が、海の底まで照らす清い月の光のように自身の潔白を明らかにできないことを嘆いた歌です。

『大鏡』時平伝には、藤原時平の讒言ざんげんにより九州の大宰府に流された道真公が、配所で詠んだ歌と伝わります。

濡れ衣を着せられ大宰府に左遷させられて、一族もバラバラに離されてしまった道真公。

その悲しみは察するに余りあるものがあります。


「学問の神様」そのご生涯


当社の御配神であり「天神さま」「学問の神様」と親しまれる菅原道真公は、学者としては勿論、漢詩や和歌で多くの名歌を残され、書では「三聖」と称されるなど、類まれなる才能の持ち主でした。

当社の御神紋は「左三つ巴」に影紋で「梅鉢」を配したもの

藤原氏全盛の時代に宇多・醍醐の両天皇の信任を得て、学者の家という出自ながら右大臣まで登り詰めるなど、政治家としても傑出した実績を残した才人。

多くの人々から厚い信頼を得ていましたが、時の左大臣・藤原時平の讒言により、無実ながら京都から大宰府に事実上の流罪に近い左遷をされることとなります。

太宰府天満宮

大宰府に左遷後は俸給や従者も与えられず、衣食住もままならないような厳しい生活を強いられながらも、自身の潔白やその胸の内を和歌や漢詩に託し、皇室の安寧と国家の平安を天に祈って誠を尽くされました。

今回の和歌もそんな失意の中で詠まれたものですが、道真公の悲しみを感じると同時に澄んだ水の透明感や月の光の情景が浮かぶ美しい歌です。

歴史的な背景が重なると、よりいっそう歌の深みが増しますよね😢

この後、失意のうちに大宰府の地で非業の死を遂げることとなった道真公ですが、亡くなったのは配流からわずか2年後のこと。

最年少で文章博士になり、学者でありながら右大臣まで上り詰めた栄華を極めた人生でしたが、晩年は濡れ衣を着せられ衣食住もままならず、失意のまま窮死に追い込まれるという凄惨な最期を迎えられます。

その後、道真公の死後になりようやく身の潔白が証明されます。

朝廷からは「天満大自在天神」という御神号が贈られ、道真公は神様として祀られるようになります。

それから1100年以上の長きにわたり、全国一万二千社の天神社でたくさんの人の信仰を集め、誰もが知る「天神さま」「学問の神様」として親しまれるようになるのです…!

夜が長くなる秋は、月を楽しむのにもピッタリな季節。
「月詣」特別御朱印では篁公や道真公とともにお月見を楽しんでくださいね。

この実りの秋に、ゆったりと空を見上げてみませんか…🌕

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