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「織姫神社」と「七夕🎋」
7月7日は「七夕」の日。
織姫と彦星の二星の逢瀬の成就に自らの願いを重ねて、人々が夜空を見上げて祈りを捧げる日です…🌟
この日は3月3日の桃の節句(雛祭り)、5月5日の端午の節句(子供の日)に続く五節句のひとつである「七夕の節句」の日でもあります。
季節の節目である節句には、むかしの日本人が大切な祈りの機会と捉えて、神様への感謝と繁栄の祈りを捧げてきました。
七夕の日も、そんな五節句のひとつにも数えられる「大切な祈りの日」です。
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◆朝顔は「七夕の縁起物」!
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奈良時代に薬材としての効果が注目され、中国から到来した朝顔。
種子に薬効があり、生薬名を「牽牛子けんごし」といいます。
この名前の由来には、七夕伝説の彦星の中国名である「牽牛けんぎゅう」からきているという説と、当時高価だった種子が手に入ると牛を牽ひいてお礼にいったという説があるのだそう。
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そういった由来から、朝顔は江戸時代には「七夕の縁起物」に!
花が咲いた朝顔は「彦星」と「織姫」が出会えたしるしとして、縁起の良いものとされました。
入谷といえば「朝顔」が有名ですが、例年七夕のあたりに「入谷朝顔まつり」が行われるのも、七夕にちなんでのこと😊
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毎年7月6.7.8日に行われますので、是非この入谷の町を挙げた催しに足を運んでいただいて、見事な朝顔と露店の賑わいをご堪能ください♪
そんな七夕ともご縁のある入谷の町ですが、当社の境内には、七夕とも縁が深い「織姫神社」があるんです…!
◆小野照崎神社と七夕の深いかかわり
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織姫神社は昭和29年に織物組合がお祀りしていたお社を小野照崎神社でお預かりすることになり、末社である稲荷神社に相殿でお祀りしたもの。
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織姫神社は「技芸上達」のご利益があるとされるほか、『産業の神様』である稲荷神社との相殿ということで、恋愛や人のご縁だけでなく仕事のご縁も結ぶ『むすびの神様』としても親しまれています🎀
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御祭神の小野篁卿は歌や文章、書道、絵画に優れた「芸術・芸能」の神様、御配神の道真公は、多くの名歌を残され、書でも「三聖」と称えられた類まれなる才能の持ち主です。
小野照崎神社には織姫神社の「織姫」と、彦星の「象徴」である「牛」を神使とする菅原道真公が鎮座しており、さらに御祭神の篁卿は芸術・芸能の神様。
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境内には願いを記した多くの短冊が掛けられます🎋
お参りの際には是非、織姫神社も併せてご参拝ください。
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また根岸にあります「書道博物館」の祖である|中村《なかむら》不折も当社とかかわりがあり、社内にも記録や作品が遺されていますが、この「織姫神社」の社号標も不折の揮毫したもの。
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「書道博物館」は、当社から徒歩で10分少々のところにありますので、お時間がありましたら是非足を伸ばしてみてください🎵
◆小野美材が詠んだ「二星」
また、当社御祭神、小野篁卿の御孫にあたる小野美材は、この時期にぴったりな七夕を詠んだ「二星」という雅楽の朗詠曲にも採られた詩を残されているのでご紹介します…🎵
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「二星適逢ひて 未だ別緒の依々の恨みを叙べず、五夜まさに明けなんとして しきりに涼風の颯々さつさつたる声に驚く」
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【訳】二つの星の、年に一度の逢瀬。互いに再び出会えた喜び、離れていたときの寂しさを十分語り合えてもいないのに、もう夜が明けようとしている。しきりに吹き始めた涼しい風の音に、別れのときが近づいていることを知る。
こちらの曲は『和漢朗詠集』にも撰された詩序の一節がもとになります。
「二星」というのは彦星と織姫のふたつの星を指し、二人の短い逢瀬のせつなさを描いた詩で、『平家物語』においては、後徳大寺実定と待宵小侍従の対面に引かれる句として有名です。
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現在残っている雅楽の朗詠曲は、祝賀を表したり、自然描写で哲学的な表現をするものがほとんどである中、七夕というロマンチックな内容を題材にした「二星」は珍しい存在です。
古くから、七夕には管絃・和歌・詩・連歌を星に手向ける習慣があり、時に朗詠も奏されていました。
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この「二星」は、他の多くの朗詠曲の伝承が衰微し途絶えて行く中でも、朝廷や公家の中で行われた七夕の宴との深いつながりから、途絶えずに残った朗詠伝承の最後の四曲の中の一曲となって、今も伝えられています。
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