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「下谷坂本富士」1年で2日だけの「お山開き」【6月30日・7月1日】

今月6月は、1年に2日だけの「お山開き」の季節。

当社境内にある「下谷坂本富士」は、毎年6月30日・7月1日の「お山開き」の期間のみご登拝頂けます🗻



◆重要有形民俗文化財「下谷坂本富士」

国の重要有形民俗文化財にも指定されているこの富士塚は、江戸時代に富士山から溶岩石を運んで作られたもの。

普段は扉を固く閉ざし、立ち入ることはできませんが、“6月30日・7月1日の2日間”に限り、一般の方もご登拝を頂くことが可能となります。

例年富士山の開山に合わせて斎行される、当社摂社である浅間神社の例祭に合わせ、ご神体である下谷坂本富士の『お山開き』として1年で2日間だけ開放しているのです。

今は絶えてしまっていますが入り口付近には富士五湖を模した池があり、山の中腹には「胎内洞窟」も再現されていました。

また1合目から10合目まで記された石杭や、中腹に修験道の開祖である役小角の尊像があったり、南無妙法と記された石碑が残るなど、江戸時代の「神仏習合」の跡が随所に見受けられます。


富士山に行くこと自体が困難だった時代。

下谷坂本富士は登拝をする事で富士の信仰を伝えながら、頂上にて富士山を眼前に拝礼を修める「遥拝所ようはいじょとしての役割も果たしてきました。

築山されてから230年もの年月が経ちますが、登拝が2日間に限定されていることや、蔦や草の根がしっかりと張り巡らされて土を強固にする、といった先人の山守りの知恵に護られ、今も昔ながらの荘厳な姿を見せています。


◆富士山への憧れが生んだ「誰でも登れる富士」

現在も「富士見町」「富士見坂」「富士見ヶ丘」など、富士山が綺麗に見える場所には「富士」の名が多く残っているように、昔から江戸の町民にとって、小高い丘などから遥かに望む立派な富士山は憧れの象徴!

「不二(二つとない)」「不尽(尽きることがない)」などとも形容される特別な存在でした。

とはいえ、江戸から富士山は今以上に果てしなく遠い道のり。
女人禁制であった当時、実際に登頂できるのは経済的にも余裕のある壮健な男子のみでした。

また、当社の鎮座する「入谷」は、坂本や下谷と呼ばれる低地であり浅草まで続く一帯で富士山は見ることが出来ない場所。
隣町の上野の山からはよく富士山が見えましたが、幕府が管理する敷居の高い場所で町人の信仰の受け皿とは成り得ませんでした。

入谷や浅草に住む実際に行くことや登ることのできない多くの人や子供たちからの「私たちも行きたい!」の声にこたえ、富士講の男子たちは小野照崎神社境内に富士山の溶岩を自分たちの手で直接運び、富士塚を作る計画を立てました。

その距離、約140km!

富士山で台車(大八車)に溶岩を積み、船で隅田川まで出て、陸に出たら大八車を押して歩いて入谷へ…という道のりを何十往復もして、築かれたのが、幅15メートル高さ約6メートルに及ぶ、霊峰・富士の分身ともいえる富士塚「下谷坂本富士」です。

当時、富士山への憧れからこうした霊峰・富士の分身ともいえる富士塚が江戸の町には多く築かれ、今日まで残っています。

開山より230年の時を経た現代でも、子供たちは元気に競って登り、大人たちも自らの幼少期を思い出しながら精神的な体験を求めて登拝を行う、世代を越えた活力の円環が見られます。

老若男女、時代を問わずに繋がることができる数少ないものでありますし、多くの方が想いのバトンを持ち寄って守り育んできた“故郷のようなお山”です。

是非この機会にご登拝くださいね🗻🌞


◆|小野照崎神社《おのてるさきじんじゃ

東京の下町 入谷にある学問・芸能・仕事の神様をお祀りする神社です。
御祭神は、平安時代有数のマルチアーティストである 小野篁(たかむら)公。文鳥を愛する絵画の神様で、百人一首にも登場したり朝は朝廷に夜は冥界に出勤される多動な神様です。
852年⛩創建 、境内には重要文化財の富士塚も🗻


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