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ぼくの、幼い夢を叶えるための大空へ飛び立たせてくれた、あの言葉

久しぶりに装丁を担当しました。

夢を追うことを「大空へ飛び立つ」と表現することがあるけど、人は誰でもどこかで人生を賭けて羽ばたいていると思う。
それは行動に表れたり、心の中のことかもしれないけど。

デザイナーという仕事は、子どもの頃から絵が上手だった人が割と多い職業のよう。

ぼくも多分に漏れず絵の上手な小学生だった。ポスターコンクールでは常に選ばれ、漫画を描けば学校中で回し読みされた。
キノコカットの同級生が主人公の「キャプテンキノコ」は、30巻を越えるベストセラーになった。
言わずもがな「キャプテン翼」のパチもんである。

ぼくの育った南大阪の小さな町では、デザイナーなんて職業の大人は周りにおらず、絵が上手=マンガ家で、周りから軒並み「マンガ家になれば」と言われていた。

その中にいつも絵を描いては「てっちゃんすごいね!将来はマンガ家さんやね〜」と褒めてくれる大人、幼なじみの国ちゃんのお母さんがいた。
親以外に褒められる事がとても嬉しかったのを覚えてる。

塾や習い事も一緒で、特に仲が良かった国ちゃんの家へ頻繁に遊びに行っては、ひとりっ子だった国ちゃんの兄弟のように扱ってくれる優しいお母さんだった。

警察官で体格が良くかっこいいお父さんと、色白の美人で若く、いつも笑顔だったお母さん。
子どもながらに国ちゃんの家族は(うちと違って…汗)なんて素敵なんだろうと感じていた。

「てっちゃん有名になったらおばちゃんに一番にサインちょうだいね」。

ニコニコしながら国ちゃんのお母さんはそう言ってくれた。

中学生になった頃、国ちゃん家族に誘ってもらい、乗馬に連れて行ってもらった。
車中しきりにお父さんや国ちゃんがお母さんに「大丈夫?」と気遣うのに気づくと、「おばちゃんちょっと腰が痛くてね〜」と笑ってた。

幼稚園の頃から、まるで家族の一員のように優しくしてくれていた国ちゃんのお母さんが亡くなったのは、それから程なくしての事だった。ずっと闘病されていたのだと聞いた。

初めて人が亡くなる事で泣いた。自分にとっては家族と同じくらい親しみを持っていたから。
この時から、国ちゃんのお母さんにいただいた言葉が、自分にとってかけがえのない言葉になったような気がしている。

それから数年。
ぼくはなんの目的も挑戦もない普通の大学生になっていた。
周りに流されながらも就活している中で、様々な業界を知る事で、どうしても美術関係の仕事に就きたい自分に気がついた。

それも、幼い頃から自分の唯一の自信だった絵心が必要なグラフィックデザイナーという仕事に。

今更やるからには、自分史上最大のチャレンジをしないとと奮い立ち、大学4回生ながら美術予備校に通い、東京の難関デザイン学校への入学を目指した。

大学生になるまで南大阪の片田舎にとどまり燻っていたが、「東京に羽ばたいてデザイナーとして有名になるんや!」という気持ちが湧いていた。

自己肯定感の低い自分に、唯一の希望をくれた「有名になったらおばちゃんに一番にサインちょうだいね」という言葉が、後押ししてくれた。

結果的に20年以上デザインを仕事にしてこれて、たくさんの友人や仕事や幸せをもたらしてくれている。
有名にはなれなかったけど、それでもあの時このままじゃダメだと、大空へ飛び立たせてくれたあの言葉が、いまも自分を支えてくれているような気がしている。

と、何を言いたかったのかというと、リアルに大空へ夢を馳せ、民間航空に人生を捧げた伊藤音次郎という飛行家の生涯をまとめた、『歴史的資料で読み解く伊藤音次郎』の装丁を担当しました。

大型本ですがカバーはアラベールにマットニス引きにさせてもらい、なかなか素敵な佇まいです。
小さなこだわりは、見返しに使ったアトモス(マリン)。淡い青色のやわらかなマーブル模様を空に見立てています。

図書館を中心に配架されるそうです。
見かけたらぜひ手に取ってみてください〜



歴史的資料で読み解く伊藤音次郎
長谷川隆 著(遊タイム出版)

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