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ダビンチに学ぶ人生のあれこれ

レオナルド ダ ビンチの生涯を少し勉強してみたら、人生の示唆に富みまくっていたので、要約を試みます。 

1. ホットスポットを見つける

彼は高名なヴェロッキオ工房で下働きの機会をゲットしました。そこは後世に残る天才芸術家を多数排出したホットスポットでした。ボッティチェッリ、ペルジーノ他。

2. 超絶悔しい思いをする

彼は完成度の高い野心的な下絵を多数残しましたが、完璧主義が行き過ぎたか、なぜかいつも作品は未完成。名声はなかなか上がらず、彼は当時の一大イベント、システィーナ礼拝堂プロジェクトの選から漏れ、同僚達に差をつけられ、絶対やつらに負けたくないという反骨の精神を養いました。

3. 停滞したら、ガラっと環境をかえてみる

上手くいかない時は、思い切って住む場所を変えるか、転職。ダビンチはタブーを破り、フィレンツェの最大のライバル国だったミラノに自薦状で自分を売り込みました。これは彼が、競い合いをしているライバル国が自分を一番高く評価することを、知っていたということ。

これはKenichi Omaeさんが説く、「住むところ、付き合う人を変えて、人生の流れを変える」のお手本。

4. 目的のためにはブラフもかます

彼は新たなパトロンを得るという目的のために、芸術家として成功したいという野望をいったん隠し、ミラノ国が何を必要としていたかを冷静に分析して、セルフプランディングに、変化をつけてきました。

そこで、自らの強み10のうち9は、軍事の専門家として売り込みます。(最後の1点だけ彼自身の芸術家としての強みを売り込みつつ)

ダビンチは実際のところ、それまで軍事の仕事経験も、知見も、ゼロだったんですけど。

5. 歳をとっても、ギブアップしない

彼は「人生50年」時代に、30過ぎて新しい環境でスタートしました。今の時代なら勤め先をやめ、職種を変え、住むところを、45歳で変えるような感覚でしょうか。バイタリティが凄い。

6. 全部向き合う

新たなパトロンのスフォルツァ君主からダビンチへ、仕事の雨が降り注ぎます。軍事のみならず、演劇、都市計画、測量など。不条理な要求とハードワークの結果、次々と彼の才能が引き出されることに。

やりたいことを封印してでも、愚直にクライアントに向き合っていくことで、結果、自分の一番やりたいことに近づいていき、道が開けるんですね。

それでどうなったか。

波瀾万丈の結果、ついに才能が花開いたダビンチ先生。徐々にミラノでの名声を獲得していきます。

しかし!ようやく掴んだ大規模絵画プロジェクトにて、注文主と対立し、長い裁判に。「どこまで不器用なんだ、ダビンチ!」。そんなに人生、簡単ではないですね。

またダメ男に落ちてしまいそうな最中、彼がラストチャンス的に勝ち取ったのが、Santa Maria delle Grazie教会での、最後の晩餐の製作です。

多作の天才が世の名声を確たるものとしたのは、その波瀾万丈の人生のまさに「最後」。

彼の潰えぬ好奇心、炎のような野心、そして、謙虚さと粘り強さ。それがダビンチの美徳だったのでしょう。

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