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映画「エルヴィス」

映画「エルヴィス」を観た。僕にとってのエルヴィス・プレスリーは、人類史上に燦然と輝く大スターで、シンボリックで数々の伝説を持つキング・オブ・ロックンロールであると云う認識。僕が意識をして洋楽を聴き始めた中学生時代にはまだ存命で、時折シングルを発表してはチャートのベスト10にしっかり送り込んでいたアーティストだ。ただその当時の若いロックミュージシャン達の破滅的なカッコ良さに比べれば、ゴージャスでラグジュアリーなエルヴィスは自分よりかなり年配向けのアーティストに思えた。様々な音楽を聴き込む中で、僕はあまりエルヴィスの作品やキャリアに深入りすることもなかった。なので思い入れはそれ程までにはない。ただ、毎年アメリカのみならず世界各地でエルヴィスのそっくりさんコンテストなどが行われていて、逝去から45年が経ってもずっと愛され続けている。その人気の根強さには本当に驚く。そしてエルヴィス生存説も根強く語り継がれており(宇宙人説すら存在する!)、そうしたサブカルチャー的なエルヴィスには大変に興味がある。そんなエルヴィスに薄い僕が映画「エルヴィス」を観た。ネタバレもあるかも知れないので、これから観ると云う方はここで読むのをやめるか、読むなら恨みっこナシで読んで欲しい。読んだところで私感ダダ漏れなのでネタバレも何もあったもんではないと思うが。

エルヴィス

マインドコントロールの映画だったと思う。エルヴィスの偉大なるキャリアや栄誉ある成功譚や、挫折や破滅も描かれるが、僕はそこにこの映画の真意を感じなかった。エルヴィスがプロデューサーであるトム・パーカー大佐と運命的な出会いを遂げ、その二人はまさに運命を共にすることとなる。その関係はただのアーティストとプロデューサーの間柄ではなく、もっと家族的で深いものであって、若いエルヴィスは母の死で大ショックを受けるなどしたこともあり、百戦錬磨のパーカー大佐の強力なマインドコントロール下に置かれる。アーティストに革新的なものなど求めず、保守的で、拝金主義で、利己的で、排他的な(と映画で描かれた)パーカー大佐に対し、才気に溢れ、情熱的で、真っ直ぐで、家族思いのエルヴィスは反抗し、その力量を世に知らしめてゆく。エルヴィスが新しい仲間達と新しい世界的チャンスに向けて大きく羽ばたこうとした時も、ついついパーカー大佐に気を許してしまい、結局離れられずに、またコントロール下に自らを戻してしまう。そこが自分にとって最善の場ではないことを理解していても、エルヴィスはそこから抜け出せない。それはもう理屈ではない。大佐は極論する。それは愛だ、と。

愛こそは全て。"All you need is love"、ではなく、"You are everything"。そっちか。僕には10CCの"The things we do for love"の歌詞が思い出されてしょうがなかった。結局僕らは愛のために妥協するんだ、ってなオチ。愛に性差も年齢も、それどころか親兄弟であるか他人であるかも関係ない。だからこそ愛に迷い、愛に縛られ、愛に裏切られ、愛のために自分をも偽り、曲げる。それでも愛は愛。何だかとりとめもなくそんなことを思った。愛におっかない毒が入ったところで愛には変わりがない。愛にとんでもない量のいい加減さを加えてもやはり愛。愛は意識とかの別のトコロにあって、それがコントロールし、コントロールされる。愛には気を付けろ。誰の台詞だったか。映画だったか本だったか忘れたけど、気を付けろと。そんなの無理だよ。愛しちゃったのよ、って歌も、わかっちゃいるけどやめられない、って歌もあるじゃないですか。もう何だかよく判らない。愛って何だろう。そんなの地下鉄の電車をどこから入れたのか考えていると夜眠れなくなっちゃうなんて春日三球・照代(古いねーすみません)より難しそうだから考えるのはやめよう。野坂昭如先生が生きていたら訊いてみたかったところだ。ぶん殴られちゃうかな。そう云えば深沢七郎先生はエルヴィスに心酔していたっけかな。夏はーいやだーよー。

肝心の音楽的なところだけど、オリジナルの音源は使われていない。物語前半の曲ではエルヴィスを演じたオースティン・バトラーが歌っている。後半の楽曲ではエルヴィスバトラーの声を混ぜて使っているそうだ。と云うことは演奏は全て新録と云うことになる。有名なあの曲もこの曲も、演奏形態もコードも替えていたりする。それが何か不思議に違和感がなかったのはどうしてなのだろう。音楽にはマジックがあった。それがエルヴィスの曲だからなのか、アレンジ的な勝利なのかはちょっと判断出来ない。僕が音楽屋の端くれだからそう感じるのかも知れないが、映画の音楽には違和感を感じることが多い。それが音楽に重きを置いた映画なら尚更のこと。僕の大好きなあの映画でもこの映画でも音楽にはちょっと文句がある。でも「エルヴィス」は不思議と違和感がなかった。映像とのマッチングが優れていたのかどうなのか。バトラーの表情と汗と半開きの唇に心奪われたからなのか。

そして、トム・パーカー大佐役のトム・ハンクスオースティン・バトラーも素晴らしかったけれどやっぱりトム・ハンクス。この謎の人物感。このテキトー感。山師感。寄生生物感。口八丁手八丁。危機回避能力。保身力。サイテーでサイアクであるところが素晴らしい。トム・ハンクス主演の映画だと云われても文句はない。トム・ハンクスは何を演じていたか。僕はトム・ハンクスは人間を演じていたと思う。世の中の愛ある人間を全部まとめて演じていたと思う。エルヴィスは音楽の神の申し子、または神そのもの。神であるエルヴィスは愛を求めるがゆえ、愛に負けて人間にコントロールされてしまう。人間は大佐であり、ファンであり、その時代であり、白人であり、黒人であり、共感であり、差別であり、その他どうしようもないこと全てだ。トム・ハンクスはそのどうしようもないこと全てのシンボルだった。本当に気分が悪くなる程に素晴らしかった。大佐が生きて、エルヴィスが死ぬのか。世の中ってそう云うものか。そうなのかもね。

またまとまらない文章を書いてしまった。まあいつものことか。そんなわけで「エルヴィス」楽しみましたし、考えさせられました。今年は「シン・ウルトラマン」のおかげで映画館に足を向けることが多くなった(結局映画館で8回観た)。また映画を観たら感想を書きます。


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