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崎陽軒の昔ながらのシウマイ

壮大なテーマに挑もうと思う。横浜が誇る崎陽軒の昔ながらのシウマイについて考える。昭和3年(1928年)に横浜駅が現在の場所に移転。当時横浜に名物らしいものがなかったのでそれを作ろうと云うところからやはり昭和3年に開発・発売されたのがシウマイである。これだけは最初に強く申し上げたいのだが、このシウマイのことをシュウマイだのシューマイだのと間違えると、普段は温和しい横浜市民が烈火の如く激怒するので注意されたい。シウマイはオンリーワンのものであり、類似商品など言語道断。シウマイ上等、横浜なめんなよ。夜露詩句。

崎陽軒の社名に含まれる崎陽が創業者出身地の長崎のことであったり、シウマイを考案した初代社長が栃木県出身であったりするのは、横浜ベイスターズの顔として長年愛された「ハマの番長」三浦大輔投手(現在横浜DeNAベイスターズ二軍監督)が奈良県出身であるのと同じで、そこは横浜市民は深く追求しない。横浜を愛してくれれば、横浜は愛を以て応える。三日住めばハマっ子(江戸っ子と対比して使われる横浜市民の愛称)と云われる所以でもあろう。実際は違うのですけどね。100年同じ場所で商売している店が未だに新参者と呼ばれる実態(実話)も御座います。

昭和3年の発売当初とレシピが全く変わっていないのがシウマイの素晴らしさ。「冷めても美味しい」と云う文言に嘘偽りなし。嘘偽りが跋扈する2020年に昭和初期の謹厳実直さを以て自らを「昔ながら」と謙遜するその心意気や如何に。

崎陽軒の昔ながらのシウマイは30個入り、15個入り、6個入り(ポケットシウマイ)の商品ラインナップ。一番ポピュラーなのは15個入りだと思うが、15個入りはアッと云う間になくなってしまうので、30個入りを買うことが多い。30個入りが3箱くらいあるととても安心する。

僕が子供の頃(大人になってもずっとだったが)、食卓のおかずとして並んだシウマイ。僕は未だにシウマイはご飯のおかずだと思っている。よく新幹線車内などでビールとシウマイを楽しんでいらっしゃる方を見かけるが、僕はそれをしない。同じような文脈で僕にとっては餃子もご飯のおかずである。現在はかなり大人になったので、ようやくビールと餃子の意味合いも理解出来るようにはなったが、やっぱり餃子にはご飯が欲しい。それもいつか深く考える日が来るだろう。シウマイに話を戻そう。

新幹線で移動する時に一番重宝するのが6個入りのポケットシウマイである。僕にはミッションがあって、着いた先々で色々食べないといけない。名古屋、京都、大阪、新神戸、岡山、広島、それぞれの街にワタシの愛する食べ物があって、そのためにお腹の空き容量を確保していないといけない。シウマイ弁当を食べたいのは山々なのだが、物理的にも心情的にもかなりの領域を占めてしまうことになる。そこで登場するのがポケットシウマイ。しっかりシウマイを堪能しつつ、シウマイへの忠義も全うし、空き容量もしっかり確保出来るので一石二鳥、一挙両得。鎌倉長谷寺の経蔵にある回転式書庫(輪蔵)を一回転させると収められている全てのお経を呼んだことになるのと似ている気がする。なんだそりゃ。

シウマイはご飯のおかずだと云う話に戻る。冷めても美味しいのではなく、温めなくても美味しいのだ。むしろ冷めていることで、温かいご飯との対比が楽しく、最高のコラボレーションとして味わえるのだ。豚肉と干帆立貝柱の出逢いが生んだ旨味の深さ。キュッとした食感の妙味。変わらないことへの安心感。君がいて、僕がいる。愛はシウマイの中に。崎陽軒の昔ながらのシウマイのある世の中で生きられたことを、ウルトラシリーズを最初から観られたことや、イチロー選手の活躍を観られたことや、数多くのグッドミュージックを楽しめたことなどと同じくして、僕は心から感謝します。ありがとうございます。まだまだこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

醤油の容器である白い磁器の「ひょうちゃん」のこと、醤油のこと、カラシのこと、書いていくと未来永劫書き終えることが出来ないと思うので、これ以上踏み込まないでおく。結果的に僕は崎陽軒の昔ながらのシウマイを愛していると云うことだけなのだけれど。まあいいや。ウマウマウー。スキスキスー。どんな美辞麗句も響くことを忘れ、どんな巧言令色も虚空に散逸してしまう。僕はどうしたら良いのだろう。こんなに愛しているのに。

そして崎陽軒のシウマイ弁当と云う更に壮大なテーマもあるが、これはまた別ジャンルである。後日改めて考える。よろしくどうぞ。


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