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カキの天ぷら丼

僕の若い頃からの愛読書のうちの一冊、池田満寿夫著『男の手料理』(1989年初版、サンケイ新聞連載時期は1985年から1986年)に登場する料理を実際に作ってみようシリーズの第3回。3回続けばちゃんとシリーズだ。全部やろうとすると60回を越えるのでそんなにはやらない。10回くらいを目処に気まぐれにがんばります。今回はカキの天ぷら丼を作る。

石巻からの牡蠣

宮城県石巻市の友人から牡蠣がいっぱい送られてきた。毎年ありがとうございます。牡蠣がいっぱいと云うとエイブラム・デイヴィッドスンの小説「あるいは牡蠣でいっぱいの海 Or All the Seas With Oysters」を思い出す。父親が持っていたハヤカワ『ヒューゴー賞傑作集』に載っていたのを読んだ。とても好きな短編だ。こっちの話はきっとどんがらがんにちんぷんかんぷんだと思うのでまたの機会に譲る。

牡蠣のニンニクバター醤油炒め

この牡蠣をニンニクバター醤油炒めにして食べるともう止まらない。際限なく食べ続けていられる。牡蠣を食べ続ける男の話はどこかのSFになかったか。思い違いか。毎日思い違いばかりしている。このまま思い違いばかりしていると別の世界観が見えてこないだろうか。それがボケってヤツか。150歳くらいになったらボケよう。

生牡蠣

このタイミングで牡蠣が来たのは渡りに船。池田満寿夫先生が牡蠣を天ぷらにしてカキの天ぷら丼を作っておられるではないか。僕もやってみよう。でも良く読んでみると先生が食べたかったのはカキフライではないか。でもカキフライを自分で作るのは面倒だとも仰っておられる。だから天ぷらにしたのだと書かれておられるが、天ぷらにするかフライにするかの手間の差にそれ程の開きはないと思う。衣を付けて揚げ油で揚げるのだからその分岐点に於いて面倒だと考えられる要素はパン粉を用意することくらいではないか。そもそも揚げ油を用意する時点でかなり面倒であると思う。そもそもその前にカキは生で食べるのが最高だとも仰っておられる。そんな身も蓋もない。でもその最高からわざわざ離れて天ぷらにまで流れて行くことが創作の避けられぬ道であるならば、僕もその道を行こう。行けばわかるさ。

カキの天ぷら

カキの天ぷらが出来た。なんだこりゃ。池田満寿夫先生も「天ぷらにしてみたわけだが、からっと揚がらなく、ぐにゃっとなってしまった」と書かれておられた。期せずして僕はこれも完全コピーしたことになる。まさにぐにゃっとなってしまったのだ。何かのレシピやら文献を元に料理を作ってみて、ちゃんとその通りにやっているのにどうしても失敗することが殆どだが、これは完全再現に近いのではないか。ぐにゃっとなったカキの天ぷらを目前に、僕は台所で一人感動に浸っていた。僕の魂はこの時、池田満寿夫先生の魂と繋がったのだった。エーゲ海も見えた気がする。先生は即座にここからにシフトしたのだが、「ぐにゃっと」から「即座」までの一瞬に永劫とも思える程の深淵を垣間見た気がする。今日はSFチックだな。そんなこともないか。

カキの天ぷら丼を作る

醤油味の出汁を煮立てて、ぐにゃっとなったのと長ネギを投入、溶き卵を入れたら火を消して、丼に盛ったご飯の上に載せる。見事なリカバリーでありますよ先生。

カキの天ぷら丼

カキの天ぷら丼の完成。玉子は一つだけだったが二つにした方が良かったか。ケチったわけではないが、その玉子を一つか二つかの選択でまた池田満寿夫先生の魂から離れてしまったような気もしないでもない。長ネギの切り方もこんなので良かったか。反省が波のように押し寄せる。

カキの天ぷら丼

味わって更に反省することにする。イタダキマス。

カキの天ぷら丼

ウマウマウー。味はとてもウマイと思う。牡蠣自体がまず絶対的にウマイのと、出汁の味付けがそこそこちゃんと出来た時点でそんなに失敗のしようもない。ぐにゃっとしたカキの天ぷらもこうすればなかなかの役割を果たす。カキの天ぷら丼ブラボー。そして食べながらまた余計なことを考えた。天ぷらにすると云うプロセスを省いたらどうなるのか。先生曰く親子丼の応用であると云うところから、カキの他人丼になるのではないか。どうだろう。

カキの他人丼を作る

早速作ってみる。醤油味の出汁を煮立てて、カキと長ネギを投入、溶き卵を入れたら火を消して、丼に盛ったご飯の上に載せる。天ぷら部分を省略しただけだが、全体的な手間は何十分の一くらいになるだろう。他人の関係もいいじゃないか。ぱっぱっぱぱっぱ。古いですね。即座に判る人はかなりの年齢とお見受けします(金井克子「他人の関係」です)。ちゅっちゅっちゅるっちゅ。

カキの他人丼

カキの他人丼の完成。玉子はちゃんと二つにしてみた。見た目的にもこの方がちゃんとしている気がする。何事も経験を重ねるしか上達の道はなし。よくギターが上手くなるにはどうしたら良いですかと訊かれるのですが「毎日練習しましょう」としか答えられませんすみません。

カキの他人丼

天ぷらの衣が汁を吸わないので、全体的に汁っぽくなった。これは天ぷらプロセスを省いた生の牡蠣からも水分が出るのもあっただろう。イタダキマス。

カキの他人丼

ウマウマウー。まあまあウマイ。大失敗と云うわけではないが、大成功とも云えない。牡蠣にもっと火を通して、火を通したなりの旨味をもっと引き出すべきであったかと思う。ネギももっと大量に使った方がよろしい。そう考えたら牡蠣の炊き込みご飯とか釜飯とかにまで射程範囲は広がるのだ。やればやるほど道は狭まるどころか、荒野にコンパスもなく置き去りにされたような気持ちになる。僕はどこに向かえば良いのだろう。いや落ち着け小野瀬雅生。ここは荒野ではない。だから大丈夫。ゆっくり食べて、またがんばろうじゃないか。カキの他人丼ブラボー。

カキフライ

それにつけてもカキフライが食べたくなった。カキフライと云うのは天才ではないか。池田満寿夫先生はカキを発見した人類に乾杯したいと仰ったが全くの同意見である。そしてカキフライを発明した人に最上位の賞賛を送りたい。ありがとうございます。

カキフライ

僕のお父ちゃんがその昔、同居していたおじいちゃん(母方)にカキフライを作って食べさせたところ「義郎さん、こんなにうまいものがあるのか、ありがとう」と心通わせた場面に居合わせたことがある。牡蠣の美味しさは人の心を繋ぐ。

カキフライ

すっかり気持ちはカキフライの方に行ってしまった。今度はカキフライも自分で作ってみよう。そうしよう。

生牡蠣

まあ生牡蠣が最高であると云うのも池田満寿夫先生と同意見。でも生とフライはそれぞれ別の欲求である。それぞれこの冬もちょくちょく充たしてやりたい。白ワインをお供に。いいねぇ。そんなわけで次回の『男の手料理』は内容未定。でも必ずやるのでどうぞお楽しみに。

中公文庫「男の手料理」


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