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大事なことはTwitterには書かれていない

Twitterをやめた。ものすごくスッキリした気分だ。別れたいけど別れられない恋人と別れた時のような。

きっかけは、コロナ禍が始まって以降、私の周りの人たち、特にものを書く人たちの間でTwitterをやめる人が増えたことだ。ジェーン・スーさんも同じようなことを呟かれていたけど、

皆一様に同じことを言い、やめたあとにはスッキリした顔をしていた。「やめた」と言っても、Twitterはアカウントを消した後も30日以内ならやめた時の状態で復活できるので、消しては30日以内に一瞬だけログインし、また消す、と言うのを繰り返しているらしい。

「培ってきた繋がりは消したくないけど、今は休みたいから、やめるね」という感じみたい。仕事のできる人ほど辞めている。

「コロナ関連のニュースで、人の嫌悪とか憎悪とか、嫌な情報が入ってくるのが疲れちゃったんだけど」と一人の友達は言う。

「でもそれ以上にね、たくさんの人とコミュニケーションとってる状態なのが嫌になっちゃったんだよね。24時間見張られている感じなんだもん」

Twitterを初めて10年になるが、最初の頃は、シェアハウスの同居人とそこに遊びに来る人、ぐらいで、50人くらいのフォロワーしかいなくて、平和だった。見ず知らずの誰かがいきなり言葉で殴りかかってきたりも、徒党を組んで叩いてきたりもしない。暴力的な動画やコメントをうっかり見てしまうこともない。そのうち余計な機能が増えて、興味のない他人の会話がTLに現れるようになり、他人の「いいね」が見えるようになった。

(ゲイの友達をフォローしていて、彼が「いいね」するムキムキマッチョの男性が裸で筋肉をアピールする動画や写真がTLに流れて来るので面白がって見ていたら、AIにゲイと認識されて今、私のツイッターの広告はゲイ向けマッチングアプリだらけだ。)

特に興味のない異物が勝手に流れ込んで来て、それが人生のさも重要なことであるかのように眼前にどっかと腰を下ろしているので、視野が狭くなり、遠くの景色が見えない。

4連休の前にやめようと思っていたが、やめる直前に変な人に絡まれて騒ぎみたいなのが起きたので、やめるにやめられなくなって延びてしまった。

辞めてみると、なんでこんな動物園みたいなところにいたんだろう、と思う。やめる直前まで私に攻撃的なエアリプをし続けていた女性や、ネチネチと粘着的に私への批判を繰り返していた、何かの業界では多分偉い人のTLを、アカウントを消した状態で見たら(Twitterはアカウントを消しても他人のTLは見られる)、猿が檻の中でキィキィ言っているようにしか見えなかった。何日も経ち、すでに相手もいないのに、この期に及んでイキリ散らかしている。すごください。

他人から見たら、私も彼らも「ばかだなあ、こいつら」としか思われていないだろうに。

Twitterをやっている時には、有名人もくだらない猿も好きな男も嫌いな人も犯罪すれすれのツイートをしている不穏な人も、全部一緒くたで同じ檻の中にいる気持ちだったけど、辞めて見ると全部檻の中の出来事なのでどうでも良いじゃん、となった。頭の中は静かだし、自分の時間を搾取されていないという嬉しさがある。

2015年から2019年まで、スマホを持たないようにしていたが、その時の感覚に近い。樋口恭介さんもWIREDのエッセイでスマホを持たないことの効用を書かれていた。もう一度スマホもやめるべきかもしれない。(でもバイクとポールダンスとヨガをやった時の運動量と消費カロリーの記録が取りにくくなるんだよな…それは嫌だ)

無駄なものに気持ちが左右されない。当たり前のはずなのに、10年間そうじゃなかった。


やめた直接の原因じゃないけど、「やっぱり辞めたほうがいいな」と思った原因は、リプライを送ってきた人たちではなく、ある攻撃的な集団のツイートを関連してたくさん見てしまったことにある。

詳しくは検索してほしいけど、ネット上で、こんなに何かに対する憎悪をたぎらせている人たちの姿を見たのは初めてだったので、結構ショックだった。彼女(彼)らの、男性に対する嫌悪や、トランスジェンダーとフェミニズムに関して自分たちと意義を唱える人間へのバッシング、そのほか色々なことへの攻撃性に満ちた言葉の数々を見て怖くなった。私はお嬢様育ちなので、暴力的なものに弱い。自分に対しリプライを送ってくる人たちに関しては、反論すれば感情のやり場があるが、こう言う無名の悪意の集合体に対しては対抗する術がないので、メンタル的にしんどい。(それはレイシストや女性に差別的な人々による投稿も同様だ)

ニュース記事などを読んで、こう言う人たちが存在することは知っていたけど、いざ自分が彼女(彼)らのツイートを目にすると、存在がリアリティーを帯びる。

私にとってはTwitterは、読者に書いたものを読んでもらうための場所でしかなく、コミュニケーションは2の次だったけど、それを「自分の嫌な気持ちを解消するための場所」だとか「同じものを憎む仲間と、徒党を組んで攻撃するための場所」として捉えている人もたくさんいる。それを実感する機会が今まで無かった。

こう言う人たちも、普段は何食わぬ顔で電車に揺られて社会生活を送っているのだろう。SF作家に嫌われても、家は燃やされないかもしれないが、この人たちに嫌われたら家を燃やされる可能性もあるから、距離を取ろうと思った。私の知り合いの作家の中には、アンチに住所を特定されて、嫌がらせでものを送りつけられたり、嘘の通報をされたりと実害を被っている人もいる。他にも、元同居人の男の子が、新聞に載るほど社会的に大炎上して人生を大きく変えざるをえなかったりしたこともあり、割とリアルだ。


Twitterは、距離がわからなくなるツールだ。

すごく遠くにいる人たちのことも、すごく近くに感じてしまうし、本当は人生で絶対に関わるはずのない遠い存在も、近くにいるような気がしてしまう。自分がすごく遠いような気で攻撃していても、攻撃された相手がすごく近いように感じていたら、人が死んでしまったりする。

また勝手に距離が近いと判断されて、「普通は○○でしょ」と勝手に常識を押し付けてくる人もいる。実際には全然違う世界に済んでいるにも関わらず。

その意味では、私も距離感がよくわからなくなっていたなと反省した。現実的に距離の遠い人とは、ネット上でも距離を取ること。サイコ・ソーシャル・ディスタンスだ。(いや、デジタル・ソーシャル・ディスタンスかも。もっといい名称がありそう)


とはいえ、やめるとTwitterでしかやり取りのなかった人と連絡が取れなくなるのは悲しいなと思っていたら、やめる直前にすごく好きな作家さんや、尊敬している作家の方からDMで応援しているよ、と声をかけてもらったり、連絡先を交換したりできたので嬉しかった。こちらのほうが自分にとってはよほど重要だ。仰々しくない、表立ってはいないところでのコミュニケーションを大事にしようと思う。

叩いてきた人たちについても、業界の事情を知る人から「これこれこう言う理由があって」と説明してもらったりして、大事なことはTwitter上では起きていないのだな、と感じた。

それなのに、Twitter上で何かの批評や議論が成り立つと思っているなんて、バカバカしすぎる。そもそも、公開の場で、リプライですらなくエアリプや引用RTを使用してやっている意見のやり取りなんて、「どっちが正しいか」のフォロワー陣取り合戦でしかなく、それが「議論」になるわけがないんだよ。


なんとなく、今のnoteは初期のTwitterみたいな感じなのかなと思った。好きなことを書いても、いきなり他人に悪意で殴られたりしないし、集団で攻撃されたりしない。このままこの安心感が継続してほしい。


そう思いながら、ツイッターをやめて手持ちぶたさなので、なんとなくインスタを見ていたらしばらく連絡を取っていなかった友達の投稿があって、何気なく「元気?」と連絡をして、これこれこう言うことがあってね…と話したら、

「実は先月、実父に包丁でメッタ刺しにされて入院してるんだよね!」と返ってきたので仰天し、ここ2、3日のことが全部吹っ飛んでしまった。

彼女はTwitterではものすごく元気そうに発信し続けているのに。

やはり、大事なことはTwitterには書かれていない。



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作家。1985年生まれ。著書にSF小説「ピュア」(早川書房、2020.4)「メゾン刻の湯」(2017.2)「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」(2015.2)絵本「ひかりのりゅう」(2014)など。

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コメント (3)
ぜんぶぜんぶ共感しました
春名さん、ありがとうございます。弁護士をはさんでのやりとり、面倒なこともあるんじゃないかと想像します。応援しています。
距離感て大切ですね。共感しました。
それはTwitterに限らず色んな物でもそうだと思います。

かつて私は友達関係と自分に自信がないことに悩んでいました。
そんな時に「星の王子様」に出会いました。
「本当に大切なものは目に見えない。」
この言葉も本を読んだ時間によって大切になるもの
で、友達も同じで早くこないかなって待つ時間とか
一緒にいてほっとする感覚を何度も味わうとかそんなこと、
本当にそれだけのことなんだっていうことを教えてくれる言葉です。

いますぐ連絡が取れるのも大事だし事実人間のもつ時間は
どんどんどんどんなくなっていくのだけどそんなものでは
人は幸せになれないと教訓として心に刻んでおきたいといつも
思ってます。

同じ思いを持ってる人がいると知れてとても嬉しいです。
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