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いいな、いいな、人間っていいな

先日大阪に出かける用事があったので、心斎橋に住んでいる友人に連絡をとって会うことになりました。

カフェで美味しいケーキを食べながら近況報告がてらペチャクチャおしゃべり。

話に花を咲かせていると、以前に会ったときに彼女が嬉しそうに話していた記憶がふと思い出されました。

それは、今年の夏に中学校の同窓会があることをとても楽しみにしていたこと。

そういえばそんな話をしていたなと思って、同窓会はどうだった?と聞いてみると、思わぬ感動バナシを聞かせてくれたのでした。


38年ぶりの再会となる同窓会。

そこで、顔も名前も覚えていない一人の男性が二次会で話しかけてきて、開口一番こう言ったそうです。

「君にずっと謝りたかったことがあるんだ」

思い当たる節が見つからなかった彼女はきょとん。

なんのことだろうとよくよく話を聞いてみると、男子クラスメート数人で彼女のことを囲んでいじめて泣かせてしまったことがあったとのこと。

幼い彼女は最初はにこにこへらへら笑っていたのですが、とある瞬間に堰を切ったかのようにわんわん泣いて止まらなくなってしまったそうです。

いじめた彼はその痛烈に泣く彼女の姿を見て、人を傷つける痛みを知って、その後ずっと消えない後悔となることに。

いじめた日以来ずっと「ごめんね」を言いたいけれど言えない日々。

そうこうしているうちに、彼女は転校してしまいました。

1年後に再び中学校に戻ってきたときに、「また会えた!今度こそ謝ろう!」と思ってもやっぱり勇気が出ないまま卒業。

そして30年以上の月日が流れた今年、同窓会の出席者リストで彼女の名前を発見。

「今度こそ謝るんだ」と誓って参加したものの、一次会では勇気が出ずにやっぱり話しかけられずじまい。

そして、二次会でついに彼女に話しかけたのでした。

「君にずっと謝りたかったことがあるんだ」と。


涙を流しながらその時の状況を語って心からお詫びする姿を見て、彼女はとても心を打たれたそうです。

そして、もう一つ嬉しさを感じたことがあったと言います。

それは、当時の自分がちゃんと泣くことができていた事実を知れたこと。

その頃は両親の離婚や学校でのいじめやらで心理的にも精神的にも追い込まれていて、頭も心も真っ暗で何も感じない状態に近かった時期。

でも、ちゃんと泣くことができていた。

〝辛い〟〝悲しい〟〝こんなのイヤ〟をちゃんと感じて泣くことができていた。

ああ、よかったよかったと、その頃の自分にホッとしたのだそう。

そして、彼にこう伝えたそうです。

「子どもがしたことだから気にしなくていいよ。あの頃は両親の離婚やら学校でのいじめやらでいっぱいいっぱいだったから、抑えきれなくなって泣いちゃったんだと思う。でも、ちゃんと泣けてたことを知れて安心したよ。ありがとう」

この言葉を聞いて彼はなおさら涙を流して泣いて謝ったそうです。

「そんな辛いときにひどいことしてごめんな。そんなん聞いたら余計泣けるわ。ほんまごめんな」と。


38年ぶりに言えたごめんね。

38年ぶりに知った真実。

38年ぶりに抜けた心のトゲ。

それは彼にとっては罪が洗い流されるような癒しとなって、彼女にとっては過去の幼い自分を労わるような充しとなったのです。

この話を聞いたわたしは肚から熱いものが込み上げてきて、あやうく泣きそうになってしまいました。

ああ、人間っていいな。

いいな、いいな、人間っていいなと。

なんだか「まんが日本昔ばなし」のエンディングテーマみたいですが(笑)

表面上は悪いことをしているように見えても、どんな人間にも必ず奥にある透明で純粋なもの。

その確かさに触れて、自分の奥で眠っているそれと呼応するようなそんな感覚になったんです。

人間に備わっている神性さの確証を得たというか。

ハートを開くことができた時に、その人間から放たれる透明で純粋な何か。

それはその人自身も相手を癒すこともできるし、なんなら全く関係のないわたしにまでこうして伝播してしまうほどのもの。

人間ってすごい生き物だな、そんな生物として生まれてきてよかったなと、なんだか人間であることを誇りに感じたのでした。


人生は辛いことも苦しいこともいっぱいありますよね。

お釈迦様はこの世で生きることを一切皆苦と表現したくらい、生きること自体が苦なわけですよ。

故意にも不本意にも人を傷つけてしまうことだってあるし、相手に悪気があってもなくても自分が傷ついてしまうことだってある。

人ってそんな風に関わりあいながら生きているのが当たり前なわけでして。

でも、その当たり前を当たり前で終わらせずに、自分の心で感じている痛みから目を逸らさずにちゃんと素直であり続ければ、こうしてハートが開いて自他の痛みを溶かせるチャンスが訪れるんですね。

それが何年何十年かかるかは分からないけれど、宇宙はベストタイミングでその機会を与えてくれるんだなと、宇宙への信頼がますます深まりました。

宇宙って粋だなあ、人生って素晴らしいなあ、人間っていいなあ。


その晩彼女が送ってくれたLINEには、同窓会で撮った泣き顔の彼との写真が添付されていました。

泣き笑いしているその笑顔はどこまでも晴れやかで思わず微笑んでしまいました。

「よかったねよかったね、二人とも本当によかったね」と心の中で呟きながら、苦しみからの解放という恩寵が二人に訪れたことに祝福のきもちでいっぱいに。

そして、こんなメッセージが添えられていました。

「彼は救われたって言ってたけど、救われたのはわたしのほう!人生長生きしてみるもんだなって勇気をもらったよ」


人生はプラスとマイナス半分こずつ。

しかも、どんなことも必ず表裏一体。

だから、過去の苦しみがある瞬間にひっくり返って癒しに変わることなんていっぱいある。

それは、小さな宇宙であるわたしと、大きな宇宙であるわたしの、二人のわたしが楽しんでいるオセロゲームみたいなもの。

転じて転じて転じて転じながら進んでいく人生という旅路。

それは地球が一瞬も休まずにひたすら転じながら宇宙を悠々と旅を進めていく姿とそっくり。

まるで小説を読んでいるような二人の人生物語りに触れて、人間という小宇宙に現れる美しさを目の当たりにしたのでした。


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