[野球][北海道日本ハムファイターズ観戦日記 2022]9/14 糸井嘉男引退
糸井嘉男選手が引退を発表しました。最後の最後にハムに戻ってきて、新球場で1年だけでもプレイして欲しかったですが、さすがに無理でしたね。
野手として1軍で16年、通算1754安打 171本塁打 300盗塁
立派な成績と言えるでしょうが、私からすれば物足りないです。糸井のポテンシャルからしたら、全然物足りない。もっともっと凄い成績を残せたはずと今も思っています。
糸井で覚えているのは野手転向して1軍で売り出し中のころ。西武戦を見ていたら、解説が片平晋作でした。片平さんは優しい口調で、糸井の潜在能力を大いに認めた上で、「でもここをこうすればもっともっとホームランが打てますよ」と言っていました。その時私は「ああ、糸井をこの人に任せたい」と思ったものです。当時のハムのコーチには長距離打者を育てられるような人はいなかったし、ホームランバッターとして手本となるような先輩選手もいなかった。糸井はものすごく器用なところがあるから、外角の難しい球でもイチローみたいにちょこんと流していとも簡単にヒットにできる。あまりに器用すぎるがゆえに、甘い球を待ってフルスイングでスタンドを狙うというより、打率狙いでバッティングするようになった気がします。オリックスに移籍後に首位打者と盗塁王を1度ずつとりましたが、タイトル2つだけって少なすぎるし、ホームランを年間20本以上打ったことがなかったというのも、糸井の体格と身体能力、パワーと飛距離を考えたら、どうみても少なすぎる。のちに柳田が出てきた時に、当時の秋山監督が糸井のところに連れていって「こいつをお前のようにしたい。これからお前の練習を見せてやってほしい」と頭を下げたのは有名な話ですが、ホームランを打つという点では糸井は柳田以上……とは言わないまでも同格の才能があったと今も確信しています。
糸井の打球でもっとも鮮烈に覚えているのは、ハム時代の交流戦です。正確にいつだったか忘れましたが、広島相手に序盤で大量リードされたものの徐々に追い上げ、確か7回かなんかに糸井がライトスタンドの上段にものすごい弾道の3ランホームランを叩き込んで2点差ぐらいに追い上げたことがありました。結局試合は追いつけず負けたけど、あのHRは本当に興奮したし、糸井はこれからものすごいホームランを何本も打って、すごい成績を残すんだろうなと信じて疑わなかったですね。また、別の試合ですが、まだ若手のころの中田が四番で、三番を打っていた糸井が中田の目の前でものすごいHRを2本打ち、中田が「いいなあ、僕も打ちたいなあ」と羨ましそうに言っていたことを覚えてます。まあ後ろに中田という真性のホームランバッターがいたから、ホームラン狙いの打者にならなかったのかもしれないですが……。
私が好きなエピソードは、楽天監督時代の野村克也監督の元に、一軍にあがって間もない頃の糸井が挨拶に行った時の話。ノムさんは糸井にどんな声をかけたかと思えば、「親孝行せえよ」と言ったらしいんですね。なぜ親孝行? 推測ですが、ノムさんは糸井のことを知らなかった。そこでどこ出身なのか訊いたんでしょう。糸井はノムさんと同じ京都府の日本海側、いわゆる京丹後出身の同郷です。つまり同郷の大先輩だから挨拶に行ったわけですが、それを聞いてノムさんはお母様のことを思い浮かべたに違いありません。著書に何度も出てきますが、京丹後の田舎で貧しい中、苦労をして自分を育ててくれたお母様に対する思慕の念は強かったようです。京丹後と聞いて自分の少年時代、母親のことを反射的に思いだした。もっともっと親孝行をしてラクをさせてあげれば良かったという悔いがノムさんにはずっとあって、それでつい、目の前にいる無名の若者に「親孝行せえよ」と声をかけてしまったのでしょう。
私のハムファン人生でもっともショックだった出来事は、糸井のオリックスへのトレードでした。もちろんハム史上最悪の、そしてプロ野球史にも残る大失敗トレードだったし、あの時からハムの凋落が始まったと思っています。決定的だったのは2017年シーズン途中の谷元の金銭トレードですね。あの時のツケをハムは未だに払い続けている。
ともあれ糸井選手、長い間お疲れ様でした。
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