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早起きして激重感情について考えてみた

3行でまとめ
早起きしたのに寝違えで辛い
激重感情は傍に置いて人生の楽しみを味わいたい
お互い様マインドで大切な人に力を使いたい

5:45, 起床。
昨日は早く寝たのだけど、寝違えたようでスッキリしない起床になってしまった。
早寝の無駄遣い、悲しい。

憂鬱なので、お焚き上げのためにモヤモヤを書きたいと思う。

昔々、あるセミナーにはまって隠れ信者になっていたことがある。
講師の考え方が好きだったのだが、コミュニティのあり方が自分に合わず、結局受講することなく鎮火した。
今を生きるという言い訳で軽率に課金する勢だが、これに関してはほぼ無課金で鎮火できた自分を褒めたい。

そのコミュニティは半オープンで、講師だけでなく受講者も山盛り発信していた。
自己分析系のセミナーだったので、自己理解を発信して手放したり客観視しようという趣旨だったようだ。
セミナーで自己分析するくらいに本気なので、拘りが強かったり他人から認められなかったりと生きづらさレベルの高い人が多そうだった。
毒親やセクシュアリティや発達障害の悩みが溢れていて、世の中にはいろんな人がいるんだなあと思った記憶がある。

激重感情を開示すると、その感情もその人のアイデンティティの一つに見えてくる。手放したはずが仲間を引き連れたブーメランになって帰還するアレである。
自分も激重感情があるっちゃあるので、手放してスッキリしたり客観的に見たい気持ちもわかる。
しかし自分はできるなら激重感情をスルッと良い感じに避けて生きていきたいし、ブーメランされてうっかり付き纏われると困るのだ。

激重感情を避けたいことに深い意味はない。人生にはいろんな楽しいことがあるらしいと気づいて、余すことなく味わうことに忙しいからだ。我ながらフワッとしている。
もしかしたら激重感情に負けたくないというプライドもあるかもしれないし、問題を避けたい軽率さもあるかもしれないけど、まあ深層心理的なアレなんだろうし何でも良い。

一応、自分もいろいろあった。今も解決していないセンシティブな問題は残っていて、うっかり口に出すと友達との楽しいお茶会を一瞬でブラックホールにするくらいには激重である。
以前は眉間に皺が寄るくらいには悩んだが、それなりに忙しい日常を生きるうちに面倒くさくなり、手のひらターンをして今に至る。
悩みすぎて一周したのかもしれない。ともかく、悩んで食べられなくなるよりも、美味いラーメン食べて豪快に太るほうが自分に合っていたのだ。今度はダイエットという悩みがログインするのだが。

その代わり自分の選べる交友関係は好きな人で固めて、自分も好きなことをやろうと心に決めた。
何かトラブルが起こったら家族や友人にヨシヨシしてもらう魂胆だし、特に自分がスキルを持つ範囲では彼らに全力を尽くす所存だ。
こんな適当なことして激重感情がさらに腐敗しないか心配だったが、実際は放置された犬のウンコのようにカピって風化しつつある。つまり「ウンコだけどもう臭くないしいずれ消える」みたいな収束途中の事実として見れるようになったのだ。

アナ雪のエルサはありのままと歌ったけれど、最後は力を国のために使ったから受け入れられた(と記憶してる)
重い感情を持つありのままの自分を受け入れてもらうことを目指すのではなく、ありのままの自分が持つ力を使って誰かの役に立って、お互い様マインドで楽しく生きたいと思う。


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