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vol.53 今日のやっちまった案件

心の中の小さな出来事が埋もれて消えてしまわないように、大事に残す。

私は常々、喜怒哀楽のある人間でいたいと思っています。
周りの人に対する影響の有無も、
その生きざまだと思っています。
そして、それを見せることで、相手にもそれを糧にしてもらいたいという気持ちもあり、
(イヤな気持ちになったら、同じことをしてほしくない)
自分自身も喜怒哀楽をただ見せるのではなく、
その収拾をきれいにつけるところまでみせることで、
見せた相手に1つの経験として受け止めてもらいたい、そう思っています。

人間だれしもいいことばかりでないし、
失敗したら、その失敗に対して、ちゃんとケツを拭こう!ということです。

そして、私のやり方を見て、もっといい方法あんじゃね?と思ってもらって、
実際に自分が陥った時に、考えた方法を試してもらいたい、と思うのです。

しかし、年を取ると、経験値から、予測や
ものごとに対する許容範囲が広くなったりします。
喜怒哀楽の波がかなり穏やかでした。

昔はすぐに文句を言っていたものも、
ちょっと待ってみましょう、
もう少し様子をみましょう、
相手にあれこれいうのではなく、私がゆるゆると動きましょう
といった感じになってきてました。

それもこれも、心に余裕があったから。
たぶん、ベトナムという地で、外国人という立場でいることで、
いろんな妥協やどうしようもないことや、さまざま、
飲み込むことが多かったというのはあります。

それ以上に、積極的に歩いて、汗をかくことで、
歩いている時には頭の中を整理して、新しい考えも浮かべて、
汗をかくことでストレス発散をしていた、と思います。

コロナ後、
たぶんコロナで仕事の多くがストップしてしまったことがあったのが影響してか、
自分の許容量を超えた仕事量を引き受けてて、
ここ2か月くらいは、許容量がオーバーしたまま走り続けてました。
そして、歩くこともめっきり減りました。つまり汗もかいていません。

ということで、もっと先にトリガーが引かれると思っていたことが
案外早く沸点に達し、仕事の中で感情が出ることがありました。
予測はしていた事態だったので、驚きはしませんでした。
すぐに冷静さは保ちましたが、この心の行き先をどうすればいいのか、
消化できないまま、時間が終わり、どうすべきか、悩みながらこのnoteを書いています。

つまり、noteに吐き出すことで解決策を見出そうと思いました。

対策を考えておく余裕が全くなかったことも敗因ですが、
今でもまだ考える余裕がないのが現実。
もう、明日の準備をしなければなりません。

うーん、この原稿も推敲できないままUpします。
あとで、読み返して、反省したいと思います。

とにもかくにも、まだまだ子供だということです。
いつになったら大人になれるのか。
がむばれ、自分。
がむばる、自分。

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