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イナメナイ

ここ最近、TLで性の商品化うんぬんがやけに飛び交った。
際どい水着姿で際どいポーズが云々という文章を読んで僕が最初に思い浮かべたのはなんとボディビルダーのムキムキマッチョな写真だったという。
まぁ流し読みしているからことの事態をちゃんと把握していなかったんだけど全然違っていて、なぜ自分の頭がそれを思い浮かべたんだ?と逆に自分が心配になるというとんちんかんな僕の感覚。やれやれだ。
なんかプール撮影会だったらしい。そういうことかと後から納得。
自分のズレ方に脱力感。

愛のコリーダ裁判では、わいせつの何が悪い?みたいなことがあって、そこはもう結構、やいのやいのと論争が煮詰まっていると思っていた。もちろん未成年云々とか時代の要請とかもあるのだろうけれど。

美の表現というときに性的魅力も含めて美と考えることは僕は普通のことだと思っている。消費する側にやましい気持ちがあったとしても意外に表現する側はもっと美しくということを意識しているものだしさ。僕自身はあまり性的魅力みたいなものをアピールするものがなく、同時にアピールするのが恥ずかしいのでしていないけれど。
ほら、ボディビルダーがさ、筋肉がついてくると何時間も鏡の前で自分の体を見てしまうとかさ、筋肉芸人はすぐに脱ぎたがるとかさ、そういうことってきっと普通にある心理なのだと思う。女性の中でもバニーガールの格好で写真撮影してみたいとかセクシーなポーズとりたいとかはそれほど違和感のある感覚じゃないんじゃないかなぁ。
表現する側は、性的魅力も美のひとつなのだという了解がある。

一方でそれを商売にしている側と、それを消費する側の問題なのだろう。
でもケシカラン族はそういう線引きできないからさ。
全部まとめてケシカラーン!ってなっちゃうからさ。
なんか、ごちゃごちゃしたのかい?って思った。

ルネサンスの頃の絵画でも彫刻でも裸体像っていうのはすごく多い。
男女どころか少年少女まで含めて。
あれは芸術だから良い、これは猥褻だからダメ。
結局、そこを誰が判断するのか?ってところがいつも表現の自由の問題点になる。一方で、例えば「セクシーな香り」みたいなキャッチコピーは自由で、性的魅力の商品化っていうのは置換法を含めれば実はものすごく幅広く一般化しているのだと思う。直接的表現はダメ、間接的表現は良いになってくるのかもと思うけれど、どっこい表現ってのは奥が深くて間接的の方がよっぽどエロかったりするんだよなぁと思ったり。
演歌の「天城越え」の歌詞とか完全にダブルミーニングでセクシーじゃんね。

僕自身あまり出来ないというか足りていないという自覚があるからコンプレックスなのかもしれないけれどセクシーな表現には少し憧れている。
やっぱり本能に訴えるという意味では最強だからさ。
まぁ、今回の問題とは全然関係ないんだけど。
あ、でもあんまりこれは好きじゃねぇなあっていうのもあるな。まぁ好みなんだけれども。理解できないっていうか。耽美?みたいなやつとか、少女ばっか出てくる映画とか、なんかよくわかんねぇなって思う。結構な評価をされている傑作でも。でも誰かが評価しているっていうことはそういう世界もあるんだろうなあ。なんかロリータな写真みたいなののモデルとか、そういうのもすごく僕のいる世界から離れて見えちゃうんだよなぁ。そこは僕の欠点なのだろう。

最近は中性的なさ、男の子が化粧して赤い口紅塗ってセクシーな感じで踊ったりさ。ああゆうのもあったりさ。あんなのモロに性の商品化だと思うぞ。だが美しい。それは否めない。僕から遠いのも否めない。

そうか。
そういうことなのか?
僕がボディビルダーの写真を思い浮かべたのは、、、。
コ、コンプレックスでだったのか?
ないものねだりか??
際どい水着姿・・・。際どいポーズ・・・。

いや。短絡的なだけか。

映画『演者』

企画 監督 脚本 小野寺隆一
音楽 吉田トオル

「ほんとう」はどちらなんですか?

◆終映◆
2023年3月25日(土)~31日(金)
K'sシネマ (東京・新宿)

2023年4月15日(土)16日(日)
シアターセブン(大阪・十三)

2023年4月15日(土)18日(火)21日(金)
名古屋シネマテーク(愛知・名古屋今池)

出演
藤井菜魚子/河原幸子/広田あきほ
中野圭/織田稚成/金子透
安藤聖/樋口真衣
大多和麦/西本早輝/小野寺隆一

撮影 橋本篤志 照明 鈴木馨悟 録音 高島良太
題字 豊田利晃 絵画 宮大也
スチール 砂田耕希 制作応援 素材提供 佐久間孝
製作・宣伝・配給 うずめき

【あらすじ】
昭和20年春、終戦直前のとある村。嶋田家に嫁いだ3人の女たち。
血の繋がらない義理の三姉妹は男たちが戦時不在の家を守り続けている。

家長であるはずの長男の嫁、智恵は気を病んでいた。
三男の嫁、恵美は義姉を気遣う日々を送っている。
次男の嫁、陽子は智恵がおかしくなったふりをしているのではと疑っていた。

やがて魔物が再び女たちの前に現れる。
世界は反転して、演技は見抜かれる。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。