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綴じる

綴じる。
バラバラのものを縫い合わせるようなイメージだろうか。
だとすればなんとわかりやすい感じなのだろう。
継ぎ接ぎとも違うのだろうか。穴と閉じると同じ音。
パンフレット印刷データなんかではこの字を良く使う。
左綴じ、右綴じのように。
本というのは糸と繋がっている。
編むんだものね。綴るんだものね。
「綴る」も同じ字だ。

さてこの「綴じる」という言葉。
なぜか使われる場面がある。
お分かりだろうか?
そう。卵綴じだ。
実際、卵以外に料理で綴じるっていう言葉を使っているのを僕はまだ聞いたことがないと思う。あるのかもしれないけれども。
中華料理のあんとかで片栗粉を入れるのも綴じるとか言うのかな?
一応、聞いたことがないからわからないだけなのかもしれない。

卵綴じ。
誰が編み出した調理方法なのか知らない。
出汁を張って、食材を煮込み、卵で綴じる。
たったそれだけでなぜあんなにも魅惑的になるのか。
玉子丼、親子丼、かつ丼、かつ煮。
亜種も含めてどのぐらいの食材が玉子に綴じられてきたか。
出汁を吸った卵が主役と言ってもいいのじゃないだろうか。

さて。久々に韮の卵綴じを作って食べた。
ちょっと作りすぎたか?と思ったけど一瞬で消え去った。
なんだこれは。韮と卵だけなのに。
玉ねぎとか別のものも入れようか一瞬悩んだけどこれで正解だった。
しかも調理が一瞬過ぎる。
出汁が沸いたらもう完成したも同然みたいなスピード感。
遠い昔、居酒屋で初めて出会ってから自分で作るようになった。
韮の甘みが感じられる調理方法の中では五本の指に入るだろう。

肉屋で買ったメンチやコロッケ、エビフライも卵で綴じたことがある。
だが一番好きだったのは韮だった。
うそです。かつの次に好きだったのが韮だった。
あ、親子丼は別格だけど。
なんにしても安くて栄養価が高くてボリュームもあって最高だった。

綴じる。
その言葉の感覚。
バラバラのものが一つにまとまっていく感覚。
大きな分断が進む世界で一つの方向のような気がするのは大袈裟か。
纏めるでもなく。繋げるでもなく。絆とかでもなく。
綴じる。糸をもって。意図をもって。

とても繊細な言葉を僕たちは持っている。


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