街の空気と人の呼吸と
生きる街が変わったこと
いくつかの作品に出会ってその後演劇にのめり込んでいった。
同じ時期に僕は呼吸をする街が変わった。
それまでとそれから。
僕は主に活動する場所が新宿から池袋に移動した。
確かにそういう時期が10年弱あった。
池袋に移動したって映画は観ていた。
むしろそれからの方が映画館には行っている気もする。
でもあまり池袋では観なかったかな。
文芸坐で小津とかレイトショーで一気見したりしたけどさ。
新宿や渋谷、新宿と池袋の間の高田馬場が多かったと思う。
池袋にももちろん映画館はあるのだけれどなぜかそうだった。
似ていない街
今は例えば地方都市に行ってもどこも風景が同じなんていう人がいる。
古い建物を取り壊して駅ビルを建ててテナントが入る。
チェーン店の看板、銀行の看板、ロータリー。
確かに昔に比べたら、どこも同じようだというのもわかる。
ただ僕はやっぱり都市というのは呼吸をしているなぁと感じる。
同じような店が並び、同じような風景でも、空気感が違う。
都市というのは毎日成長していく化物のようなもので。
それは全国どこに行っても似ている街なんかなかった。
僕は郊外で育ったからそれを感じやすいのかな。
とにかく、池袋で七年近く一人暮らしをしていたあの時期。
僕は池袋という街のもつ呼吸を確かに感じていた。
池袋、新宿、渋谷
巨大な繁華街。歓楽街。ターミナル。
主要交通機関の交差する場所。
色々な意味で池袋と新宿と渋谷は似ているかもしれない。
でも僕の中でまったく違う街だった。
たぶん勝手に僕の中で池袋は演劇の街だった。
文芸坐も建て替えて今は綺麗だけれど。
昔は地下に小劇場の文芸坐ル・ピリエなんていうのがあったりして。
たまたま僕が演劇にのめり込んだ時期に住んでいたからだけではないのだと思う。
文化的背景もやっぱり違うしさ。
戦後の闇市だとか、戦中戦後の遺跡なんかは変わらないのにね。
でもやっぱりその街が育った背景には文化圏があるのだと思う。
池袋は演劇学校や日大芸術学部やそういう連中が多かった。
池袋を離れて
池袋にいた頃も映画を観たし、映画の話もたくさんした。
でも不思議なもので池袋を離れてから僕は映像の芝居をより意識するようになった。
あの七年間はほとんどテレビドラマなんかは観なかったしね。
さんざんレンタルビデオなんかは借りたりしたのだけれど、あれほど深夜テレビとかが好きだったのに観なくなった。
あれはなんなのだろう?
やっぱり街だけが持つ空気というのがあるとしか思えない。
どの街も大好きだけれど、僕はその違いを楽しんでいるのかもしれない。
映画の舞台挨拶でいくつかの都市部に行ったけれど。
やっぱりどこも全然違った。
つまりは人間なのだと思う。
実は舞台挨拶をするとお客様の反応も全然違ったりする。
人間は住む土地で変わる。人間と人間の関係で変わる。
そして距離感も変わる。
東京はさまざまな地方から集まるなんて言うけれど。
それでも街の感じは変わっていく。
高円寺と阿佐ヶ谷だって違うもんな。
下北沢と三軒茶屋なんかあんなに近いのに全然違う。
新宿の「演者」
映画は観る映画館で違った感じを受けることがある。
その数割は街の持つ力のように思える。
そこで呼吸をする人間たちの色で変わってくる。
家でみるのと違うのは映画館が街にあるということだ。
その街を歩き、空気を吸い、映画館に向かう。
それだけですでにイベントなのだろうと思う。
だから僕もまだ新宿の「演者」に出会っていないことになる。
試写は数か所であったけれど、新宿での上映はなかった。
僕の記憶に沁み込んだ新宿。今の新宿。
そういうものが全部ないまぜになって、映画の一部になる。
街の匂いが人間そのものであるならば。
街に出ることは人間に触れることなのだろう。
それはきっと映画を観ることと同じ意味だ。
他の街でも上映したいなぁと思う。
それはその街の人間に出会うことと同義だ。
投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。