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自己愛と自己評価〜辻村美月『傲慢と善良』感想書評〜

あの辻村美月が婚活を題材に書いたと聞いて、そりゃさぞかし怖面白かろう、と思って読んでみた。僕自身も一時期婚活っぽいものをしていたから、あの独特の世界や苦しみをどう描いてくれるのか気になった。

怖すぎるって。
婚約者が突如失踪するゴーン・ガールのような展開に始まり、彼女の知り合いを次々訪ねて真相を探していく……。生き死にが絡まない系のミステリーとサスペンスが好きなので、ゾクゾクしながら読めた。生き死にが絡まない代わりに、人にとって生命の次に大切な尊厳やプライドが絡んでくる。日常的に生命のやり取りをする読者は多くはないだろうが、プライドのやり取りは現代人にとって普遍的なものだ、と感じる。だからこそこの作品は多くの読者を抉るのだろう。あ〜怖かった。

1番印象に残ったのは小野塚夫人の台詞で、「現代人は自己評価は低いけれど自己愛はとても高い」という分析だ。自己愛という言葉選びに「なるほど!」と膝を打った。長年自分の中でしっくりこなかったイメージがピタリと概念になったのを感じた。こういうワードセンスと人間心理への辻村美月の掘り下げ力は感嘆モノだ。
「善良」というキーワードも着眼点の鋭さを表している。「親や教師の言うことに意思なく従う人」については、優等生とか良い子ちゃんという皮肉を含んだ呼び方があったが、それらを包括して「善良」というポジティブな表現にしたあたりが上手い。優等生が苦しむ話、というと個人のストーリーに聞こえるし身構える読者もいるだろうが、善良さ故に苦しむと言われると、普遍的な物語であると同時に読者も手に取りやすいと思う。

善良さ故に苦しむというのは本当に救えない話だと僕は思う。
たしかに、人生には親も教師も教えてくれない駆け引きや戦略が必要な時があり、それによって幸福感が大きく左右されてしまうこともある。真実の姉や架の女友達は「教わることではなく自分で見つけていくもの」とアッサリ言い放つが、真実からすれば今更言われても取り返しがつかない。自分の人生を振り返って後悔しようにも、親の喜ぶ顔を見たかった自分の善良さを否定することはできない。今の自分を肯定できず、昔の自分も否定できず、何故善良であったのにこんな感情になるのかわからず、ただ何かを呪うしかない。この苦しさを辻村美月は丁寧な言葉選びで見事に描いている。

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