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これが大阪!これがキャバレー!〜高殿円『グランドシャトー』感想書評〜

年末に大阪から千葉へ帰省する際、乗り場の売店で文庫を買った。飛行機内ではスマホが使えないため、気づけば一冊買ってしまうことがある。大阪のご当地本大賞をとっていたのも気になった。

アッパレ!これが大阪じゃ〜い!
女の根性モノが好きなので、グランドシャトーを建て直すルーのシーンが好き過ぎる。財力で資材を寄せ集め、真正面から箱を改造していくスペクタクルは読んでいて熱くなる。「ババアこそ花柄着るべきや。ハナが足りへんねんから」などのジョークも効いていて良い。とはいえ、ルーの訛りはどちらかというと兵庫よりだ。「しっとう(知ってる)」などでわかる。

実家から逃げた10代の娘が京橋のキャバレーで名を馳せ、かつての家族を取り戻す夢が破れて再び逃げるように東京へ、そして大阪へ帰ってくる……。夜の舞台に生きる人生の物語であり、まるで朝ドラを観るかのように読み進められた。現在NHKでは『ブギウギ』が放送中のため、ルーの顔が趣里で、真珠の顔が菊地凛子で再生された。

作中で、「光」について度々言及されるシーンがある。舞台を照らすライトやブランド品が放つ輝き、そういった光に人々は手を伸ばす。ルーを東京の芸能界に導いたやぐらは「にせものでも、光や」という名言を放つが、ひときわ印象深いのが以下の地の文だ。

 にせものの光の正体は、そのような人間が差し出した時間なのだ。光ることを諦めざるをえなかったスターになり損ねた者の屍が、鏡のように反射して一ヶ所に集まっているだけだ。

232頁

煌びやかなものは、それを手に入れられなかった屍がいるからこそ光る。キャバレーはその意味では一番屍に近い光だったのかもしれない。ただ、この作品における屍、スターになれなかった人々に対する目線は優しい。売れない路上ミュージシャンがグランドシャトーで独演会を行い、綺麗になった箱でホステスたちは息を吹き返す。そしてまた光が強くなる。結局、光はそれを求める人たちの想いによって強くなるということだろう。

大阪はいろんなものが流れ着く街、という表現も見られた。大阪に流れ着いた自分もひどく同感する一節だった。この作品では、欲に素直な人物が多数登場する。そして欲に対してとても肯定的で強かだ。その根源的な肯定が、大阪を楽しい街にしているのかもしれない。

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