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人間くささと恐怖〜鈴木光司『リング』感想書評〜

自分はホラーというジャンルが死ぬほど苦手だが、『天久鷹央シリーズ』で本書が登場したことと、小説なら映画や漫画より耐えられるだろうと思って読んでみた。ホラーという一大ジャンルの金字塔として一度体験してみたかったのもある。

怖えけど怖いだけじゃない!!激辛だけど旨味もある麻婆豆腐みたいだ!!
まず地の文の描写がとても写実的。人物の挙動や姿勢、表情についての描写も細やか。また、東京を中心に、箱根や鎌倉、大島などへ呪いの謎を解くために赴くことになるが、道中の経路や風景描写が写実的なので臨場感がある。関東圏以外の人には馴染みがないかもしれないが。その写実性は、読者が主人公である浅川に感情移入するのにも一役買っていると思う。浅川が雑誌記者である。また妻子を持ついい大人だ。つまり、写実的な地の文は、仕事上取材などで観察力を求められる成人である浅川の人間性とリンクする。それが読者を物語にひきこむギミックになっていると思う。

解説でも触れられていたが、本作の魅力はミステリー要素だ。見ると呪いにかかるビデオがあり、呪いを解除するオマジナイが存在するが、その内容はわからない。その内容を明らかにするため、浅川たちは唯一のヒントである映像をとことん分析し、ヒントを見つけ出していく。何重にも覆われた謎を一枚一枚剥がしていき、真相を探しにいくスリリングさと、一週間というタイムリミットが焦燥感を駆り立てる。

ネタバレにはなるが、呪いの正体は世を呪った山村貞子の怨念と人間に滅ぼされた天然痘ウイルスの怨念の融合体だ。その融合体が呪いのビデオとなり、見た人間を呪い殺す、もしくは拡散させ増殖させる尖兵とさせる。個人的に1番怖いのは、呪い殺されるところではなく、自我や意志がないはずの天然痘ウイルスが怨念を持つところだ。人間が恐怖を感じるのは、結局「人間めいたもの」なのだろう。かつて多種類の原人が地球上を歩いていた頃、互いに殺し合う生存競争に勝った末に地上の覇者になったのが我々ホモ・サピエンスだ。言い換えれば、人間にとって最大の敵であり脅威は同種だ。その意味で、「ウイルスが意思を持ち人類に復讐する」というギミックは恐ろしかった。人は、ヒト以外の存在にヒトめいた意思を感じると恐怖する。

物語はこれから人類に訪れるであろう最大の危機を示唆して終わるが、一方で人間讃歌的要素、「人間っていいよな」と思える要素があったのも事実だ。それは端的に言えばバディものの良さである。
主人公の浅村は旧友である竜司に呪いを解く協力を依頼し、竜司は知的好奇心と探究心のために喜んで参加する。最終的に竜司は呪いを拡散しなかったために死んでしまうのだが、この竜司というキャラクターがいい味を出している。高校生時代には女子大生を強姦したなどと言っていた破戒的で飄々とした男だが、浅川を叱咤激励するアツい一面がある。そして強姦は虚偽であることもわかる。外野に対して偽りで飾らなければ自分の目指す先にいけない不器用な男だ。浅川は彼の死後「親友でした」と語る。作中で屈指のシーンだと思う。人が呪い殺される謎を解く小説の中に、友情で泣かせるシーンがあるのだ。

ホラーというジャンルは如何に人を恐怖させる腕を競う、ある種のど自慢的なものだと考えていた。ただ、恐怖という感情は様々なフックがあると知った。恐怖の根源は未知だ。未知が何故恐怖かというと、危害の可能性があるからだ。危害が何故恐ろしいかというと、自分には大切なものがあるからだ。それは自身の命だったり家族だったり野望だったりする。恐怖を描くことは、心の根っこである大切なものを描くことと表裏一体なのだと思った。その意味で、ホラー小説ほど、愛情や友情を描くのに適したジャンルはないのかもしれない。

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