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小学生親1年生が夏休みの宿題で気づいたこと

生まれて初めて”小学生の親”をやっています。

とにかく生きさせることが重要だった赤ちゃん時期から、健やかに育つことを優先した幼児期。それとはまた違う小学生というステージの、今はまだ序盤にいます。ここから先はご家庭によって優先事項が変わってくるのでしょう。我が家もまだ様子見です。

この春に1年生になった長男くん。私も小学生親1年生です。
初めての通知表、初めての夏休みの宿題。さぁこれから1か月の間どうやってこれをクリアしようか!と息巻いていたら、彼はもう学校で宿題の予定を立ててきていました。しかも夏休みラスト3日残して全て終わる計算。堅実。私が息巻く必要なんかありませんでした。

わずかに残った私の役目のうち、一番ウェイトを占めるのはマルつけです。学校から出された『なつやすみ』というドリル。恐らくは1学期の振り返りなのでしょうね。その答え合わせをやるというのがミッションです。

正解大好き・失敗苦手な長男くんはほとんどの問題がマル。そんな中、珍しく間違えていた箇所がありました。

このしゃしんのうち はるから なつに がっこうや いえのまわりで みつけられるものに 〇をつけましょう

模範解答と比べると、〇がついてないのが2つありました。
おたまじゃくしと、くわがたです。

なるほど…うん…。
これをどう伝えようかと考えながら、いまこの文章を作っています。

一番思っているのは「そっかー、見たことなかったかー。そうだよね、見てないよね!」です。長野のお子さんは日常生活におたまじゃくしやくわがたがいるのかなぁ。

「ここ、間違えてたよ」と言うのは、なんか違う。だって見たことないんだからねぇ。長男くんは恐らくちゃんと考えて「見てないな」と判断したはずです。

図鑑を見せてみようかな。
「ほら、夏のページに載ってるでしょう?くわがたは夏の虫なんだよ」そう教えることはできるけど、教えたところでなぁ…。汗をダラダラかきながら実物を見つける感触にはかなわないし、そういう感触を通してものごとを吸収して行ってほしい。

おたまじゃくしはもうカエルになっちゃっただろうし、今どこに行ったらくわがたが捕れるのかも分からない。この写真がホタルだったら図書館の前で見たのに…。

なーんて、頭を悩ませています。

そう考えると、マルとバツの間にはなんてたくさんの物があるのだろうと驚きます。

同じ問題にあるつくしには、ちゃんとチェックが入っています。長野に引っ越してきてすぐ、家の周りにたくさんつくしが生えていて。近所の子が「これ食べられるよ」と教えてくれたのでみんなでお浸しにしてみたのです。きっとあのことを思い出したんだろうなぁ。川崎では春につくしなんか見なかったもんな。

いろいろな間をショートカットして「ここをこうするとマルです」と教えることはできるでしょう。その工程に疑問を挟まずイエスと言える人が優秀といわれる世界もあります。

でもなんか、そんなのつまらないなと思います。実感を伴わないマルなんて、この先AIが嫌というほど量産してくれるはずです。

季節ごとに自然を感じる、旬のものを食べる、数を数えてみる、感動を伝えてみる…そういうもの豊かさを見落としたくないなと。長男くんの中にたまっていく豊かさを、マルかバツかで安易に線引きしたくない。グラデーションの部分を尊重していってあげたいし、そういう大人がいる環境を用意してあげたいな。人間として生きているのだから、人間らしくあってほしい。うん、我が家なりの考え方はやっぱりこうだな。

というわけで。
これが今回得た私なりの気づきでした。小学校親一年生、ちょっとレベルアップできたかな。

さて。じゃあどう対応しよう?

とりあえず「ママさー、このページちょっとわかんなくて。教えてくれる?」って聞いてみようかな。
それで彼なりの判断基準があったら、「彼はこう考えたそうです」とコメントを添えてそのまま学校に出そう。それはバツとは違う何かのはずだわ。こういう時のために柔軟性のある学校を選びました。

彼にとっての春と夏に、まだおたまじゃくしとくわがたが居ないなら、それでもいいよと言ってあげたいと思います。いつか「あ、居た」と思う瞬間を楽しみにしつつ。

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