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「結」を迎えないことの不利益

仕事でお世話になっていた方が退職されることになりました。
惜しい…

私より年下の方だったこともあり、もしかしたらこの人辞めちゃうかもとなった時、惜しいなと思って引き止めるメッセージを送ってしまいました。
大体のことは「あなたが良いと思うなら良いんじゃない」というスタンスなのですが、なんかこの時は「私の経験をあなたの選択に活かして欲しい」と思って。

それでも本人が辞めると決めたそうなので、それはもう「これからの人生に幸あれ!」なんですけど。

今回のことで思ったことを残しておきます。誰かの役に立てば。

よく「辞め癖がつく」とか言いますよね。
辞め癖ってなんだろう?ってずっと思ってたんです。
その人が物事に向き合って「ここが自分のゴール」と思ったらそこがゴールなんだから、それが世間一般の「最後まで頑張る」じゃなくてもいいじゃないか、って。

それがちょっと分かってきました。
辞める or 辞めないの問題じゃなくて「ここが自分のゴール」と思う基準の置き方の問題かなって。

話は反れますが、私は長いこと第一志望の大学に落ちたことを引きずっていました。

私が受験したころ、合格発表は電話の自動音声で確認するか、現地で掲示を見るかのどちらかでした。
私は自分の目で確認したくて、出かける準備をしてたんですね。
そしたら後ろから母がきて「ねぇ…大学、落ちてたよ」って声かけてきたんです。
サイテーでしょ?笑
先に電話で聞いたんですね。
聞くまではいいとして、それ本人に言う?

泣いて怒って大騒ぎしました。なんてことするんだ!!って。
母も泣いて怒って「だって!わざわざ見に行って落ちてたら可哀想じゃないの!あなたのためにやったのに!」と言ってました。
大人になった私はこれが詭弁だと知っています。
母は、自分と娘の区別がつかなくて自分の不安に耐えきれなかったのです。

ま、この母の最低な行いについては、許さないけど私の中で落とし込んだから、ここでは別にいいんです。
問題は、自分で「結」を迎えなかったということです。

いま思えば、私はこの時自分で自分の結果を引き受けられなかったんですね。
ドキドキしながら電車に乗って、自分の番号が無い掲示を見て、落ち込んで泣いて、憧れの大学の近くのカフェで一人でお茶飲んだりして、高校3年間頑張った自分に落とし前付けて、夜遅くなんとか家に帰って「ダメだった」って言いたかった。

そこをすっ飛ばしたまま特に志望してない大学にふてくされて入学して…どうなったか。
勉強しない、友達を作ろうともしない(それでも友達になってくれた良い人揃いの大学でした)、世界を広げない、第一志望が忘れられない、就職でリベンジしてやると謎の燃え方をする、などなど。
結構な回り道をしたなーとチベスナ顔になります。若さを無駄にしたー。

わかりませんけどね。
自分で結果見に行っててもふてくされて入学したかもしれませんけど。
これがまさに「後悔」ってやつです。
もしあの時自分の結果に納得していたら、ちゃんと「結」を迎えていたら、切り替えられたかもしれないのにっていうね。

「自分のゴールはここだ」っていうラインを、本来置くべきところより手前に置いてしまったために、切り替えるのが随分遅くなってしまった。
何とかして取り戻そうと遠回りしてしまった。
もちろん遠回りした道で得られたこともありますけど、
「もし、あの時できていたら」という気持ちは起きてしまうのです。

で、今回のケースです。

その方の状況とよく似た状況に、私もなったことがありました。
自分で企画したことがどうも上手くいかない、協力者が得られない、行き詰ってもうだめだ…
私も当時この段階で会社を辞めました。だから気持ちはよく分かるんです。

でもやっぱりこの時も私は「結」を迎えた気がしなくて。
上手くいなかったから辞めた、という印象なんです。
その時の環境と自分の状況とでそれ以上はやれなかったから仕方ないんですけど。
「やりきった」「ここまでは来れた」っていう感じじゃないんですね。
途中下車して走って帰ったような気分なんです。

でも、私とその人とで大きく違うのは職場の環境でした。
その人の周りはサポートしてくれる人や制度がたくさんあるんです。
だから途中下車しても、ホームでちょっと休んで、各駅停車に乗り換えて、
目的地を新たにして向かうことができると思いました。
最初の目的地より手前だとしても、それに似た何処かに着いてゴールという道もありますよ、と。
(当時の私にその支援がなかったのは環境の不幸だけでなく、私の不徳の致すところでもあります)

今回本人が「ここで降りる」と決めたのであれば、それはもう繰り返しになりますが、「この先もどうぞお気をつけて」「幸あれ」という事なんですけど。
それは…「結」ではないのでは…と思うので、ほんのり心配で惜しい気がしています。
もしこの先の道で、やっぱりあそこに忘れ物したと思ったら、恥ずかしがらずに取りに戻って来てほしいな…。
そういう人を笑ったりするような組織じゃないし…。
その時まだ私がここにいたら穏やかに「おかえりなさい」って迎えたいな。

他人が勝手にゴールをひいたり、やむを得ない事情で手前ゴールしなくちゃいけないこともありますよね、人生。
でもその時に「結」は迎えられたか?という視点を持っていようと思いました。
自分がやってきたことや結果に納得できるかどうかで、その後の気持ちが全く違います。
次のステップを踏み出すためにも、それまでの道をちゃんと終わらせる必要があるんですよね。

途中でやめるなっていうのは「ここがゴールだ」というの感覚を、ちゃんと落とし前付けられるレベルまで持って行きましたか?という意味かと思います。
それが自分としてできてるなら、人からどう見えてもいいんじゃないでしょうか。
自分に負けたまま終わらない、というかね。

いまの私にできることは…
まず自分の道を悔いなく歩けるように毎日少しずつ意識すること。
ゴールが来た時に「うん、ここで大丈夫です」と思えるようにね。
その延長で一緒に仕事する人の道も納得できるものになると嬉しいな…。

それから、子どものゴールを奪い取らないように気を付けることです。
母の強烈な反面教師を胸に。
親っていうのはそういう強権を振れてしまうものなのでね…くわばらくわばら。

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