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【ギャラード】俺はクローザーだという強烈なプライドをひっさげて名古屋に降り立った右腕は1年目からセーブ王に君臨 年俸は2億円を超え活躍するも配置転換を余儀なくされたために志半ばで日本を去った火消し役

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はエディ・ギャラードを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=Yj7sC5VbVEw

1970年、アメリカ合衆国ニュージャージー州に
生まれた本名ジュリアン・エドワード・ギャラードは
フロリダサザン大学を卒業した1993年、
MLBドラフト13巡目で
デトロイト・タイガースから指名を受けて入団すると
1997年にメジャー昇格を果たして1勝1セーブをあげました。

翌年はタンパベイ・デビルレイズ、
翌々年はシンシナティ・レッズと
移籍を繰り返していた2000年春、
MLB通算30試合で2勝、1セーブ、
防御率4.66と伸び悩んでいた右腕に
人生を変えるオファーが届いたのです。

前年、高齢に加えて勤続疲労も重なり
不調に終わったストッパー宣銅烈(ソンドンヨル)が
引退した事で空いた穴を埋めるべく
抑え投手を探していた中日ドラゴンズは
かねてから獲得を狙っていたギャラードに
白羽の矢を立てて交渉を開始すると
MLB開幕ロースターから漏れていた
身長185センチ、体重90キロの助っ人は
日本行きを決断、海を渡ってきたのでした。

2000年シーズン開幕直後の4月8日、30歳の抑え候補は
遅ればせながら日本の地を踏むと、150キロを超える速球と
切れ味鋭いスライダーとチェンジアップを武器に
安定した投球を見せ、同僚助っ人レオ・ゴメス、
メルビン・バンチとともにオールスターゲームに
出場する活躍を見せます。

最終的にシーズン通して積み重ねた
セーブ数は35となり、1年目の外国人投手として
史上初めて、最優秀救援投手のタイトルに輝いた
助っ人になりました。

2001年も岩瀬、落合とともに勝利の方程式を形成し
2年連続でオールスターゲーム出場に29セーブの活躍を
みせると、翌2002年は34セーブにキャリアハイの
防御率1.52の好成績で
自身2度目の最優秀救援投手に輝き
名実ともに球界を代表するストッパーとなったのです。

「プライドが服を着て歩いているようだ」と
山田監督が形容するほど抑えというポジションに
並々ならぬこだわりを持っていたファイアマンは
球威が低下し、三振が奪えなくなってきた事から
度々ピンチを招きましたが、瀬戸際で踏ん張る
ピッチングでその地位を譲る事はありませんでした。

年俸は2億6000万円となり、中日不動のストッパーとして
シーズンインした2003年、通算100セーブの最速記録を
樹立したものの、練習中に右手を負傷するアクシデントに
見舞われた事から調子が上がらず、2軍降格を命じられます。

この年、ポスティングシステムでメジャー移籍を目指すも
入札がなく、思わぬ形で中日ドラゴンズに入団していた
大塚投手が抑えとして好調を維持していた事情も相まって
「下で調整登板してから中継ぎとして1軍復帰」の
構想を指揮官に告げられた助っ人は
「今すぐに一軍で投げられるし抑え以外は
絶対にやらない」と断固拒否の姿勢を示した事から
首脳陣との軋轢が表面化、事態を重く見た
中日球団は高額年棒の支払いを回避するとともに
長年の功労者であったギャラードの今後に配慮して
シーズン中であるにもかかわらず自由契約を公示しました。

すると守護神不足に頭を悩ませていたベイスターズは
すぐに獲得を表明、シーズンど真ん中で横浜にやってきた助っ人は
「新たなスタートでフレッシュな気持ちさ。
横浜は今苦しんでいるけど自分が入る事で勢いが
出せればいいね」の言葉通り、早々に古巣中日戦で初セーブを
挙げると、打たせて取るスタイルで防御率2.19に
8セーブを挙げる活躍を見せたのです。

しかし翌2004年、メジャーリーグから大魔神、佐々木が
横浜に戻ってきた事から中継ぎの役目を与えられたギャラードは
「クローザーをやりたいんだ、抑えが必要な
チームに行かせて欲しい。セットアッパーは
自分の役割ではない。横浜で2年間クローザーが
できると聞いて来たんだ、契約と話が違う。
もし球団が方針を変えてセットアッパーを
要求するなら、こちらは複数年契約を要求する」と
配置転換を拒否して6月初旬に右ひじ痛を訴えて帰国すると
じん帯損傷が判明してそのまま退団となりました。

マーク・クルーンに更新されるまで
外国人投手の最高記録、120セーブを記録した
ファイアマンは帰国後、メジャー復帰を目指して
コロラド・ロッキーズやフロリダ・マーリンズの
マイナーでビッグリーグを目指しましたが
再びメジャーで登板する事は無く、2006年限りで
ユニフォームを脱いだのです。

150キロの重くて動く速球と、安定した制球力で
打者を抑え込んできた助っ人は、左打者に
めっぽう強かったほか、
クローザーとしてのプライドから
アレックス・ラミレスにパフォーマンスをされると
激高した誇り高き孤高の守護神、エディ・ギャラード。

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。

ご視聴ありがとうございました

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