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【ブライアン・シコースキー】メジャーで伸び悩んでいたスロバキア移民の子は千葉ロッテにやってくると初年度で解雇寸前も生き延びると才能が開花 頼れるセットアッパーに変貌を遂げた助っ人

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おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はブライアン・シコースキーを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=cKN82KhU7EQ&t=54s

1974年、アメリカ合衆国ミシガン州で
ユダヤ系とアイルランド系からなる
スロバキア移民の子として生まれた
シコースキーは、西ミシガン大学を
卒業した1995年、MLBドラフト4巡目で
ヒューストン・アストロズに
指名されるとプロ生活をスタートさせました。

移籍したテキサス・レンジャーズから
2000年にメジャーデビューを果たしましたが
先発5試合を含む10試合の登板で
わずか1勝と伸び悩んでいた右腕に、
2001年のシーズン途中、思いがけないオファーが
舞い込んできたのです。

オークランド・アスレチックスから獲得した
左腕ジェフ・クベンカが開幕当初から不振に陥り
先発投手のコマ不足に頭を抱えていた
千葉ロッテマリーンズは
メジャーの実績はイマイチでしたが
150キロを超える速球を持つ
27歳の若者に白羽の矢を立てて
交渉を開始すると
身長185センチ、体重86キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。

支配下登録選手期限ギリギリの6月29日に
入団した右腕は7月11日の福岡戦で
先発初登板を飾るも
12試合で3つのボークをとられるなど
日本野球に適応出来ず、1勝4敗、
防御率6.43の成績に終わった事から
解雇寸前でしたが、
長身から投げ下ろすナチュラルシュートに
ノビシロがあると感じた球団は年俸4000万円で
残留を選択したのです。

「来日当初は異なる文化や生活に苦しんだよ。
私は食べ物の好き嫌いも多いから
それも心配だったんだ。でもマクドナルドが
たくさんあるし、日本はきっと良い場所なんだ、
って自分自身に言い聞かせてね。
実際、みんなから助けてもらったね」
と、慣れてきた2002年、リリーフに転向すると
どんな起用法にも文句は言わず、
47試合に登板して
防御率3.44、102奪三振と
頼れるセットアッパーに変貌を遂げました。

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