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【アダム・ジョーンズ】正義感溢れる右の大砲はWBCのスーパーキャッチでアメリカを救うと神戸の地で代打として躍動 これぞメジャーという集中力で何度もチームの窮地を救った親日家

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、アダム・ジョーンズを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=xoa0hr8Kstg

1985年、アメリカ合衆国カリフォルニア州は
サンディエゴに生まれた
本名アダム・ラ・マーキー・ジョーンズは
幼馴染で、のちにデトロイト・タイガースに
入団するクインティン・ベリーと
7歳の頃から野球を始めると
モース高等学校まで同じチームで
ともに汗を流しました。

高校を卒業した2003年、
投手としても期待されMLBドラフト1巡目で
シアトル・マリナーズに入団すると
14年後にトロント・ブルージェイズ
からメジャーリーガーとなる
ダニー・ジャンセンの家族に
お世話になりながら
1Aウィスコンシン・ティンバーラトラーズで
遊撃手を任されましたが
翌年キューバから亡命してきた
ユニエスキー・ベタンコートの入団で
センターにコンバートされた19才に
2006年、忘れられない出来事が起こったのです。

隣を守る不動のライト、イチローに
緊張していたアダム・ジョーンズは
「外野陣の中心として声掛けする
ポジションだったけど無理だったよ。
そこに誰がいるか分かっていたからね。
そしたら彼から、捕れるなら声掛けてくれ、
くれぐれも俺に向かって突進だけはしてくるな、
OK?って言ってくれたんだ。
私も笑ってうなずいて
気が楽になった瞬間さ」と振り返りました。

目的意識を持って反復練習を繰り返し
完璧に近いところまで持っていく
イチローの練習から多くを学んだ若者は
エリック・ベダードとの交換トレードで
キャム・ミコライオと共に
ボルチモア・オリオールズへ移籍すると
才能が開花、ここから12年連続で規定打席に
到達するなどセンターのレギュラーとして
2009年はオールスターゲームに選出され
ゴールドグラブ賞を受賞、
2011年からはその後7年続く25本塁打以上と
目覚ましい活躍を見せたのです。

2012年5月、6年総額8550万ドル、
出来高600万ドルで
当時の球団最高年俸となった右の大砲は
最終的に162試合に出場して
打率2割8分7厘、32本塁打、82打点、16盗塁を
記録すると翌年は
WBCアメリカ代表に選出されたほか
自身初の100打点超えでシルバースラッガー賞も
受賞しました。

また、野球は白人のスポーツと発言した事から
試合中にバナナやピーナッツの袋を
投げ付けられたり、
ホセ・バティスタの本塁打後にバットを
投げる行為を咎めて言い争いに発展したほか、
黒人の暴動によりMLB史上初の無観客試合を
強いられた際には
「強く安全であれ、私が愛してきた素晴らしい
ボルチモアのままに」とメッセージを発するなど
フィールド外でも何かと注目される選手となります。

2017年、WBCでアメリカを救ったと
称えられるホームランキャッチを見せた
スーパースターは
シーズンでもオリオール・パーク通算124号を放ち、
ラファエル・パルメイロを抜いて
同球場の本塁打数と打点数の記録保持者になると
2019年に移籍したアリゾナ・ダイヤモンドバックスでは
主にライトのレギュラーとして137試合に出場、
打率2割6分、16本塁打、67打点をマークしました。

ちょうどその頃、1996年以来
優勝から遠ざかり、左の吉田と
タッグが組める右の大砲を
探していたオリックスは
東京オリンピック出場を希望するも
MLB所属では出場が難しかったうえ、
現状の単年契約を快く思っていない
大物メジャーリーガーの情報を聞きつけると
2年総額800万ドルを提示、
さらに尊敬するチッパー・ジョーンズに
あやかって拘りのあった背番号10番も
用意する熱心なオファーに
「メジャーリーグにさよならを、
日本プロ野球にこんにちはを言う時だ」と
身長188センチ、体重98キロの助っ人は
海を渡ってきたのです。

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