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【アダム・リグス】MLBで思うような活躍が出来なかった俊足強打の右打者は来日してヤクルトに入団すると生涯の友と出会うとその才能が開花 尊敬して止まない指揮官に恐怖の2番打者として抜擢され躍動した助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はアダム・リグスを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=-4NBLyHmhM0

1972年、アメリカ合衆国オハイオ州に
生まれた本名アダム・デイヴィッド・リグスは
サウスカロライナ大学エイケン校を
卒業した1994年、
ドラフト22位でロサンゼルス・ドジャースに
入団すると
それほど期待はされていませんでしたが、
入団3年目にメジャー昇格を果たしました。

しかし9試合の出場で思うような成績を
残せなかった事から、再びマイナー生活を
送っていた2001年、移籍した
サンディエゴ・パドレスからMLB復帰を
成し遂げましたが結果は変わらず、
セントルイス・カージナルスや
メキシカンリーグ、
アナハイム・エンゼルスと複数球団を
渡り歩く日々を過ごしていたのです。

2003年の9月、メジャー登録枠が拡大された影響で
三度(みたび)一軍に昇格すると
地区優勝したチームメイトとともに
勝利の美酒に酔いしれましたが
翌年は再びマイナー選手に戻りました。

31才と野球人生のピークを
迎えていたリグスはこの年、
マイナーリーグで自己最高の打撃を見せると
異国の地から1通のオファーが届いたのです。

アレックス・ラミレスとコンビを組み
打線の軸となる外国人打者を探していた
ヤクルトスワローズは
右方向へ流し打ちが出来てパンチ力もある
俊足強打型の内野手に白羽の矢を立てると
メジャーで通算61試合の
出場に留まっていた身長183センチ、
体重86キロの助っ人は海を渡ってきたのでした。

「最初は投手の攻め方が違いすぎて
戸惑ったね。メジャーではシンカー、スライダー、
チェンジアップくらいしか投げてこないから
ストレートを待っていて合わせればいいんけど
日本では、ほとんどの投手が
フォーシームの真っすぐに
スライダーやカーブ、チェンジアップに
フォークボールと
早いカウントから投げてきたからね」と
変化球攻めに対応出来ず、
開幕は2軍スタートを余儀なくされます。

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