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そこに境はあんのか?

好きじゃなかった自分の名前

わたしの名前は、よくある普通の名前です。
正直そんなに好きでもなかった。
名前の由来も、画数重視で選ばれたもので、特に意味があるわけでもない。
嫌いでもなければ、特に気に入っているわけでもなかった。

名物先生におったまげる

普通の名前のわたしは、晴れて普通の女子高生になりました。
ある時期、担当の数学の先生が休職に入った為、代役として、講師のおじいちゃん先生がやって来ました。
初めての授業の日、教室に入って来たおじいちゃん先生は、開口一番、
「今日の授業の予習をしていないやつは、手を挙げなさい」
と、比較的穏やかなトーンで言いました。
わたしは、普通の素直な女子高生だったので、正直に挙手しました。
おそらく、ほとんどの生徒が予習していなかったんじゃないかなと思う。
あいにく、わたしは席が一番前だったので、他の生徒の様子が見えなかったんですねー。
わたししか手を挙げてなかったのか、そのおじいちゃん先生は、出席簿を手にわたしの前にやって来て、頭に振り下ろしました。
驚きと首に走った痛みで、結構な衝撃を受けたのを覚えています。
まさか普通に高校生活を送って、先生に頭をしばかれると思ってもなかったので、おったまげました。

鬼リピートの名場面


それから、そのおじいちゃん先生は、怖い名物先生だという噂が流れて来て、授業は緊張感溢るるものとなりました。
ただ、名物先生なだけあって、授業は面白く、毎回提出するノートにも、赤ペンでとても丁寧に直しを入れてくれていました。
しっかり一人一人チェックしてくれているのがわかる赤ペンの入れ方で、返却時も一人一人に手渡しで言葉を添えてくれる熱い先生でした。
ある日、廊下でいつも通りノートを返却してくれる時に、わたしの下の名前をゆっくり読み上げた後に、
「うん、良い名だ!」
と、微笑みながらノートを渡してくれました。
その瞬間、出席簿でしばかれた時を超える衝撃が走り、わたしの心にあった一欠片の氷が一瞬にして溶けていくのを感じました。
「そうなんだ!わたしの名前って良い名前なんだ」
その一言は、普通の女子高生だったわたしを、特別な女子高生に変えてくれました。
なんてドラマチックな学園モノ風名場面でしょう。
その名場面の後のわたしの記憶は、数カ月後に訪れる、おじいちゃん先生の葬儀まで飛んでいます。
どうやら、亡くなる直前まで、病院のベッドで生徒全員のノートをチェックしてくれていたらしく、最後に戻ってきたノートには、震える手で書いたと思われる赤ペンが、変わらぬ丁寧さで入っていました。
あれから二十年。今でもまだその名場面は、わたしの脳内で、鮮明に鬼リピートされています。


一転

ある一瞬を堺に、特に好きでもなかった名前が、一転して好きな名前に変わりました。
わたしは、その一瞬の名場面と、おじいちゃん先生にとても感謝しています。
生まれてきて最初に親からプレゼントされる名前が好きじゃない、というのは何となく悪い気がしてしまうので。
好きと嫌い。
表と裏というものは、正反対のところにあるようで、実は重なり合っています。見ている方向が違うだけ。
言葉のチカラの偉大さは、身を持って知っているつもりだけど、たった一言で一転出来るのだとしたら、立ち位置が、見ている方向が違っただけだったのかもしれない。
そこに勝手に境を見ていたのは自分であって、本当は境もなかったのかもしれないなぁと、
特別な女子高生になって二十年経ったわたしは、そう感じています。
これからの人生において、わたしは要所、要所で自分に問いかけたいと思っています。
「そこに境はあんのか?」 と。



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