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忘却と追憶・晩夏について

気がつけば長かったお盆休みが終わって、8月も下旬に差し掛かっている。
職場で仲良くさせてもらっている先輩が、クーラーの効いた涼しいオフィスでお昼ご飯を食べながら「もう9月とかヤバくない?」と話をしてくださる。
ついこの間、お正月で明けましておめでとうと言ったばかりなのに、どうしてこんなにも時が過ぎ去っていくのが早いのか。2024年、何してたっけ。(ってか今年のお正月って何してたっけ・・・・)

私は、ジブリ映画の中で一番好きな映画は「千と千尋の神隠し」なのですが、
ラストシーン手前、銭婆が主人公の千尋に言う大好きなセリフがあって、それが
「一度あったことは忘れないものさ……想い出せないだけで。」
ってやつなのですがこのセリフ、本当にそうだなあって思ってて・・頭の中の記憶の引き出しは無限にあるはずなのに、歳を重ね、年月が経過すると引き出しが段々と劣化して扉を簡単に開けることが出来なくなっていく。扉を開けるために必要な鍵(それは現実世界で言う言葉や、写真)があれば鮮明に思い出せたりするのに。
引き出しを開けれないどころか、引き出しを開ける鍵すらも無くしてしまう。

私は色んなことを忘れてしまう。忘れてしまう記憶や思い出を引き出せるように
写真を撮る。ふとした時間に、過去の写真を眺めるのも好き。アルバムを作るのも好き。ああ、ここに行った時は確かすごく天気が悪かったんだけど、そのおかげで人が少なくて快適だったんだよな。この人はこの時こんな色の服を着ていたんだな、とか、この人こんな笑い方するんだなとか、その時の情景を鮮明に思い出したいから写真を撮る。写真を全く撮らない友人もいるが、きっと頭が頗る良いんだろうなと思う。スッと、話をする中で、昔の出来事や思い出を思い出して具現化出来ちゃうんだろう。

私は、人の名前を覚えるのが本当に苦手で。女性の名前はまだしも、男性の名前はもっと覚えるのが苦手である。男性の名前は特に4文字のものを覚えるのが苦手で、「としまさ」とか「まさとし」とか「まさあき」とか「あきまさ」とか、2文字で前後入れ替えになってる名前があるからややこしい。そもそも興味の無い他人のことなんか本当どうでも良いので、「覚えなくても別に今後会うわけじゃ無いんだし頭の引き出しに入れなくて良いでしょ」と脳が解釈してしまう。
だから悲しい話、テレビやYouTubeで活躍しているアイドルや芸能人、実況者だって「本当に興味を持てないと覚えられない」のである。

話が逸れてしまった。夏が終わる。
今年の夏はコロナに一度殺されたが、割と充実した夏だった。
築53年のオンボロ内装リノベーションアパートは、クーラーをつけないとあっという間に室内温度は32度とかにぶち上がってしまうので、電気代が恐ろしい。部屋の中にいるのに汗だくになる。わざわざ家から徒歩で通えるホットヨガスタジオに入会したのに、暑くてホットヨガに行く気も失せてしまい、先日遂に退会届を提出してしまった。代わりに今度は、全身に筋肉をつけたいと思っているのでボルダリングジムに通いたいと思ってる。(はい、完全にオリンピックの影響ですすみません)

夏、割と頻繁に京都に帰っていた。そこで再確認したけど、やっぱ京都って最高。
人は確かに多いけれど、一時期に比べるとまだ観光客も減った方かと思う。もう皆散々、寺社仏閣巡ったでしょ。もうええよ、京都に来なくていいよ、笑

松尾大社の風鈴


中学3年生の時、西京極から松尾大社に引越した時は、松尾なんて何もないし
阪急電車だと嵐山線とかいうマイナーな路線に乗り換えないといけないしで
結構憂鬱だったのを覚えている。「何でこんなところに家を建てたの?」と母に問うと「凄く自然があって綺麗な場所なのよ」と言っていた。それを、17年経った今、猛烈に思い知らされている。お母さんお父さん、松尾大社近くに家を建ててくれて本当にありがとう。実家に帰った時は、必ず松尾大社でお参りをするようにしている。阪急嵐山駅の隣というだけあってか、今ではチラホラ松尾大社駅で降りる外国人も多いし、人も増えたなあと思う。松尾という駅名だったけど、数年前「松尾大社駅」という名前にも変わったし。

私の母校は、地下鉄烏丸線の「今出川駅」近くにあるんだけれど
阪急ユーザーの私は、京阪電車に学生時代あまり乗ったことがなく、出町柳駅も利用していなかったのでこの鴨川デルタによく来るようになったのは大学生になってからだった。
四条大橋の下は今となっては等間隔は愚か、すし詰め状態のように川辺に座っている。どこのカフェもいっぱいだし、マクドもスタバも座れないからとりあえず鴨川行く?と言えちゃうのがいい。鴨川はちょっと・・・という人とは多分、仲良くなれない。悪天でずぶ濡れでない限り、芝生に座れたら問題なし。親友と缶ビールを買って恋バナや就職の話もしたし、当時付き合っていた恋人とも座ったしキスもされたし、花火もした。辛い時は一人で自転車を漕いで鴨川へ行って、眺めながら静かに泣いた。どんな時もずっと美しい鴨川は、弱い私も、強い私も受け入れてくれる。


松尾大社の次に私の好きな京都の神社と言えば、「下鴨神社」である。
夏は透明でキンキンに冷えた水に足をつけてお参りできるみたらし祭りもあるし、古本市も開催される。あの空間がたまらなく好きだ。何度も何度も、色んな人と下鴨神社に行った。古本祭りに行くと、森見登美彦先生の四畳半神話大系を無性に見たくなるし、アジカンも聴きたくなる。大学生の頃、夜中に「猫ラーメン」のモデルになったラーメンを食べに行こうと友人二人で行ったのを思い出す。名前も知らないあのラーメン屋さんはもう今は無いかもしれない。

蝉が鳴く声。境内の砂利が真っ白で、反射して眩しい。化粧は結局汗でヨレちゃうんだけどそれも夏の醍醐味と思うようにしてる。日傘を刺して、木漏れ日の中を歩く。


去年の夏、母方の祖父が他界した。
ここでちょっと補足をするのですが、お爺ちゃんお婆ちゃんって、二人ずついて、私の家ではその二人を区別するために「サッカーお爺ちゃん・お婆ちゃん」と「うさぎお爺ちゃん・お婆ちゃん」という呼び名のルールがあった。
理由は簡単、父方の祖父母の家にはサッカーボールがあり、それでよく遊んでいたのと、母方の祖父母の家にはウサギが一兎いたからである。

去年他界したお爺ちゃんは、通称「ウサギお爺ちゃん」だった。
ウサギお爺ちゃんは将棋が強くて、いつも家に行くとファミコンで将棋のゲームをしていた。ウサギお婆ちゃんに怒るウサギお爺ちゃんは怖かったけれど、私にはいつも優しかった。小指の爪をいつも伸ばしていることがちょっと嫌だった・・笑
大学生になってから、殆どウサギお爺ちゃんに会うことは無くなった。小さかった頃は、お正月は必ずウサギお爺ちゃんの家ですき焼きを食べた。
大学3回生くらいの時に、母の用事に付いていった際、ウサギお爺ちゃんの家に立ち寄った時にはもう、「あんたは誰や?」と言われるようになって、お爺ちゃんは私をすっかり忘れてしまっていた。そんなもんだろう。お爺ちゃんだって、認知症はあれど、大学生になって髪の毛を染め、しっかり化粧をして別人になった私の顔なんて、見たところでわからないのは当たり前である。
2年前くらいにウサギお婆ちゃんの認知症が悪化して、夜一人で徘徊し出したり、
何度も同じ食材を買い始めたり、ゴミを出さなくなったりし出して、そこから二人は一緒の老人ホーム「楽しい家」に入ることになった。
ウサギお婆ちゃんは「楽しい家」ですぐに友達を作り、ゲームをしたり絵を描いたり、毎日その名の通りまじで楽しそうに過ごしているようだ。認知症は酷く、私の母すらもたまに忘れるけれど喋っているうちに点と点が繋がって線になったかのように一度全てを思い出すタイミングがあり(笑)
「あ〜!栞ちゃんか!!栞ちゃんはえっと、、、ユリエ(母)の娘や!!」と老人ホームでそうやそうや〜と歓喜の声を上げる。そして2分後には「誰でしたっけ?ごめんね。」と振り出しに戻る、そんな会話を1日に20回くらいしている。
ウサギお婆ちゃんは、自分が認知症であることを理解している。そこがすごいのだ。掛け算も割り算も筆算もしっかりできるし、今でも毎日日記を書いているらしい。ご飯もしっかり食べて、老人ホームの担当の人には「こりゃまだまだ生きるぞ」と言われているらしい。面白い。
ウサギお爺ちゃんはそれとは逆で、楽しい家での話を一切母から聞かなくなった。
たまーにお婆ちゃんはどこだ?と聞いてくる程度で、友達を作るとか、外交的なお婆ちゃんとは裏腹に一人で過ごしていたのではないだろうか。
そんなお爺ちゃんが、硬膜下血腫で倒れた。本当に急だった。大きな病院に入院したお爺ちゃんに会いに、母と弟と会いに行った。面会がまだコロナの関係で厳しく、ICUで15分ほどだけそばにいることができた。植物人間って、こんな感じなのか。最初の印象でした。お爺ちゃんの体には何本もの管が通されている。呼吸器も大きかった。この内のどれか一つでも外れたら、お爺ちゃんをこの世に繋ぎ止めておける生命線が途切れてしまうのかもしれない。
お爺ちゃんはそれから目を開けることはなかった。でも何度もお爺ちゃんと呼んでみる。喉仏が少し動く瞬間があった。先生曰く、声はしっかり、聞こえているんだそうな。私の横にいる、母の顔を伺う。母は泣いていなかった。「お父ちゃん、よお頑張ったな、もう大丈夫やで、うんうん、よく頑張ったわ。」とお爺ちゃんに言ってた。
母から聞いた話によると、ウサギお爺ちゃんは今まで大きな病気にかかったことが殆どなく、逞しかった。タバコが大好きで、1日2箱くらい吸ってたけれど、肺も強かった。そんな病気にかかったことのないお爺ちゃんが、最後ICUで立派な治療を受ける事ができて、手をかけてもらって母は本当に良かったなあと言っていた。ICUに4日間の入院で、72万円の請求が来たが、1割負担で72,000円。でも70歳以上は一月の医療費上限が57,000円で済むとのこと。ありがたいね〜と母が言っていた。
ICUに入って、一度退院して別の病院に移ったタイミングでお爺ちゃんは天国へ行った。私のことを、どうか天国で思い出してくれていたらいいな。
ちょうど去年はそういう事がいろいろあったので、五山送り火を見れなかったんだけれど、今年は下界に降りてきてるであろう、お爺ちゃんをお見送りしたいと思って、五山の送り火に手を合わせる。お爺ちゃんの吸っていたタバコの煙のように
ゆらゆらと送り火から灰色の煙が天に昇って行った。雨が降らなくて良かった。
お爺ちゃんが黄泉の国で消えないように、私はお爺ちゃんのこと忘れないよ。(リメンバー・ミー)



ところで先日、金曜ロードショーで「となりのトトロ」が放送されていた。
誰しもがきっと観た事はあるであろうトトロ。トトロと聞いて「何それ?」ってなる日本人はまぁほぼ居ないだろう。幼稚園の頃からもよく家で家族と観ていたし、
めっちゃ観たい!!とかそんな強い気持ちはなかったんだけど何の気無しで観ていた金曜ロードショーのトトロ。
・・・・気づけば号泣してましたねwwwwwww
まさか自分がトトロで泣くとは思ってなかったよ。ええ。
お母さんの一時退院が延期になっちゃって、メイが号泣した後
サツキがお婆ちゃんの米とぎ手伝ってる時に不安が溢れて泣いてしまうところ・・・・・・・・お姉ちゃん・・・・ずっとずっとずっと我慢してたんだね・・・・😭ってなってもう33歳のおばさんは泣いてしまいましたよ。
しかもその後、サツキが泣いてるのをみてたメイちゃんが、お婆ちゃんのトウモロコシを食べたら病気が治る!届けなきゃ!って思って一人決心した表情で小さなサンダル履いて家飛び出すところも全ワタシが泣きました。子供おらんけどな・・・子供おらんしなんなら結婚もしてない独身のババアが一人でトトロ見て泣いちゃったよ・・・大学生の時に見てもなーーんも泣かなかったのにな・・・ジブリってすご。
とりあえず今日は家に帰ったら千と千尋の神隠し見るか・・・・

夏の終わりってどうしてこんなにフジファブリックが似合うんでしょうかね。
これを初めて聞いたのは大学1回生の、ちょうど所属していた軽音サークルの夏合宿が終わった頃の9月上旬だった。当時一番最初に組んでいたバンドでリードギター兼コーラス担当だった私は、「君のハモリの歌が上手すぎるから、ギタボでバンドやった方がいいよ」と先輩に強く押されて、組んでいたバンドをわざわざ抜けて、スリーピースでバンドを組んだ。自分の才能を認められたようで、本当に嬉し
かったし、あの頃は怖いものがなかった。

悲しい思い出も、楽しかった思い出も、全て忘れたり思い出したりを繰り返して、自分の思い出たちを愛せますように。
2024年 夏 完



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