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【アカハラ 大学院 中退】先生のことをお話します 自分史12

これは学歴というステータスを捨てる決断と、働き方を見つけた
一人の学生のお話。

こんにちは。

今回は少し時間が空きましたが自分史の続きを書いていきたいと思います。

大学を卒業後、九大の大学院に進学した


僕は当時付き合っていた彼女を守る力として
それなりの学歴とそれなりの就職先があればいいと思って
九大の大学院に進学します。


研究室選びを間違えてしまったのが最大の誤りだったかなと思いますww

先にここで出てくる用語の説明をば


すこしここから出てくる単語について一言説明だけしておきますね。


学部生 大学4年生までのこと。一般的にみんな4年で卒業しますからだいたいの大学生は学部生と言われます。ちなみに卒業すると学士という称号が手に入ります

院生 大学卒業後に大学院まで進学した人のこと。卒業すると修士という称号を手に入れる。
2年生までは院生で、そこからさらに3年間博士課程に進むことで博士という称号が手に入る。おそらく博士課程に進んでいる人も院生って読んだりしているんじゃないかな。

B1~B4 学部生の学年を指していう

M1~2 院生の学年をさしていう

D1~3 博士課程に進んだ学生を指していう。

卒論 学部生の卒業論文
修論 大学院生の卒業論文

博士課程 大学院の2年生を終えたときに追加で3年間進むこと。なんとこの博士課程くらいになると、お給料をもらいながら学ぶことができる。
半分社員の様な感じで研究室に就職しているようなイメージ

テクニカルスタッフ 博士課程の人とは別で給料をもらいながら研究室で研究をしている人たち。
その大学の出身である必要はなく、派遣社員として研究室にきて研究をしている人たちです。研究室によってはいたりいなかったりする。

教授 みんながイメージする教授。研究室では「〇〇研究室」と呼ばれるが、その名前を冠する人達はだいたいこの教授という人
その下に准教授と助教がいるそうです。

准教授 こんかい僕が入った研究室の研究テーマを扱ってた人の階級。
結果を残すと、教授に昇格すると思われる。昔は助教授って呼ばれてたりもしたんだってさ(´。ω゜)まぁ准教授も教授とやってることは殆ど買わならないですね~

助教 今回の話では出てこないですが、博士課程を卒業して教授という名前に近い階級になる人は最初はこのへんなんじゃない?その下には助手とかいう役職もあったりする。

スクールカウンセラー 学校にいるカウンセラーの先生、心の悩みなどについて相談に乗ってくれて、生徒が学校に通えるようにお手伝いする感じです。目的は生徒が学校に通えるようになることです。いいですね?(何が?)



そもそも大学院ってどんなところ?


そもそも大学院ってどんなところなのかも少し説明しておく必要がありますね。

僕の経験と実際に会った大学院生からお話したいと思います。


大学院は大学卒業後も研究をしたい人が来る場所(就職したい人が進学するケースもままあるw)

普通の大学は4年間大学生活を送ったあとに卒業して就職をするのですが、
それとは別ケースで大学院に進学するケースがあります

大学院は研究をする場所であり、キャンパスライフを満喫する場所ではない


大学生活を延長させたいと思って来るとちょっと楽しくないかもしれませんね。

普通に大学生活を味わいたいなら4年で卒業しておくのが吉です。

研究や学会発表などを通して、研究者として活動をしていく場所になりますね。
研究を頑張る場所というイメージでOKです。


学部のときの教授が言っていたのですが


卒業論文は参加賞
修士論文は努力賞


ということらしいので、修士論文あたりまでは、教授は内容をそこまで期待してないみたいです。

なので、思うように頑張ってねって話になるそうです。

中には中身をもっと期待する、大事にする教授もいるので全員がそうとは言えないですけどね。


過去のノーベル賞を取った学者の中では大学4年制のときの卒業論文が評価されて、
それをアインシュタインに大学の教授たちが見せにいって相談した、という逸話もありますけどね。


まぁそういうわけで大学院からは研究に多くの時間を使うことになります。



大学院に通っている学生のスケジュールはどうなの?

かんたんに大学院生の生活を説明すると
朝の9時くらいに学校に到着して
20時から21時くらいまで研究室にいるか授業受けてるかのどちらかです(´。ω゜)タスケテ


なので、バイトはできるようなスケジュールではなかったですね。

やるなら土日にするくらいになりそうです。

僕は土曜日も一人で研究室に行って実験してましたけど(´・ω・`)



そういうわけで拘束時間は長い
というのが大学院生の生活になります。

ただし、そうじゃない研究室もあって

普通にバイトをしてる人もいるようです。



部活で運動もしつつ、バイトもしながら研究をする

いわゆる学部生のようなキャンパスライフを送ってる院生もいらっしゃいました。


家から出ている時間はだいたい12時間強。お金払ってこんな生活してるのは院生だけ。

そんなわけで僕は九大の研究室に入ったわけですが、
研究室が大変なところだったというのがありまして、全然生活に余裕がありませんでした。

実家に帰ってきたとはいえ、ご飯の時間も遅かったですからね。
バイトもできないから所持金がなくあそびにもいけませんでした。

そのため愛媛に残した彼女に会いに行くことすらできず振られることになります。

そして僕が入って最初に来た壁は


研究テーマが決まらない


ということでした。


入学後 研究室の研究費っってどこから出てるの?


というわけで最初は研究室の研究費についてです(´。ω゜)

教授は公務員だし、学校も国立だから全部税金じゃないの?と聞かれると実はそうでもないこともあるらしく。

うちの研究室は新素材の研究をしていたので、
一般的な大手企業が研究を依頼してくるそうです。

それを大学で研究してデータを出す代わりにお金を会社が出してくれているという形ですね。

つまるところ

各々が好き勝手テーマを選んで研究できるわけではない。


ということです(´・ω・`)

そこで研究費が出るテーマを新しく入った誰かがする必要がありました。


僕の他に2人同級生がいるのですが、二人も明確にやりたいテーマがあったみたいで、
僕が代わりに研究費の出るテーマを見ることになったんですね。

もともとよその大学から進学してきた人しかいないキャンパスだったので、
全員がいわば知識0からのスタートに近いです。


もちろんある程度の基礎は頭には入ってますが、それを実験や研究で実践できるわけではないですからね。

なので、自分でテーマを選ぶにもなんの予備知識もないわけなので、
最初の1ヶ月くらいはずっと論文を読んでました。

もちろん全部英語です(´。ω゜)


5月中旬くらいまでテーマが決まらず(准教授がテーマをいくつか選んでくれるのに時間がかかった)


そんなわけで僕が担当になったテーマは企業からのお金が出ているらしいテーマでした。
もともとテクニカルスタッフの方がやってるテーマを引き継いですることになったので、
先輩のスタッフさんに教えてもらいながらやってました。


しかし、その語3週間後にゼミ発表がありました。


全然教えてもらって実験を覚える段階でしたが、ゼミ発表の日が来ました。

もともと日程は決まっていたのですが、僕が一番最初のゼミ発表でした。
他の2人は2週間くらいは前にはテーマが決まっていたので
実験などをずっと勧めていたのですが、
なぜか最後に決まった僕が最初という試練(´。ω゜)ヤメテケレ


早速データを集めていろいろやるのですが、やはり僕は最初は要領よくできない人間。

けっこう苦戦していました。

同じことを何回も先輩に聞いたりもしていたのですが、先輩はみなさん優しく教えてくれましたね。


しかしすでに精神的にけっこう疲れていたようです。


スクールカウンセラーにお世話になってました。


そんなわけで僕はスクールカウンセラーに行ってるなんて言えずにこっそり研究室抜け出したりしていたわけですが

それでも実験は続けています。

土曜日に一人で研究室で実験の準備や下ごしらえなんかをしたりもしていました。

誰も他のひとはいなかったですが、一人でできる作業をするのってけっこう気分が楽でよかったですね。
誰かに監視されているわけでもなかったので。


ゼミ発表当日 午前中に准教授に確認。「よくできてます。このまま発表してください」


なんやかんや頑張ってパワーポイントでスライドも作って、実験データも張ってスライドが完成しました。

もともと一夜漬けとかが苦手なので毎日コツコツ作業は進めてました。


当日准教授にスライドを確認してもらいました。

こんな感じのデータでこんな感じで発表したいと思います。
考察はこんな感じです。

といった感じですね。


それに対して准教授は
「いいですね。よくできてます。これで発表お願いします。」


といってくれました。

実働期間3週間でどうにかこうにか発表ができるようにはなって、その後スクールカウンセラーの予約があったので、そこでご報告。

これで最初のゼミ発表は大丈夫と思っていたのですが、結局その日を最後に研究室に行くことはやめることになります。





ゼミ発表にて 准教授「こんなのは研究発表ではない」


悲しいことにその日のゼミで僕は吊し上げにされて叩かれまくりましたwww

よりによってその准教授に(´。ω゜)ナンデ?


これで発表してください、と言われたとおりに考察なども述べたのですが
言われた言葉はすべて辛辣でしたww

こんなものは研究発表でもなんでもありませんってさw


いやいや、それならスライドの確認のときにアドバイスしてくれと思っていました。

こういうデータが取れるといいですね。とか
こういう観点ではこの考察はよくないかもしれない。とか…


こちとらその後すぐスクールカウンセラーで直す時間もそんなに長くは作れなかっただろうけども。

なんでみんなの前でそういう事言うのかなぁ…


一方前日にあわてて作った別の研究室の同級生の発表には「とても素晴らしい」と絶賛


もうひとり教授の方の研究室の同級生が発表をしていたのですが
その人の発表に関しては大絶賛でした。

そもそも准教授が担当していないテーマではあるので、
そう見えただけかもしれませんが

あまりの差に悲しくなりましたね。

毎日コツコツ準備してきたスライドはけなしまくって
前の日の21時から作った人のは大絶賛。


自分の実力不足と言われたらそこまでなんでしょうけどね。

そんなになんでも素直に前向きに受け入れられるほど僕は成熟していませんでした。

その次の日から僕は鬱になって不登校になりました。


ゼミ発表のあとに声をかけてくるひとは誰もいませんでしたww


そんなわけで散々な発表だったわけですが
僕は誰からも声をかけてもらえませんでした。

別に泣いたりしていたわけでもないんですけどね。


テクニカルスタッフの人くらいはなにか一言言ってくれてもよくなーい?とか思いましたけどね。
途中でその人もゼミ発表で部屋抜けてっちゃったからわからなかったのかもしれませんけどね。


教授は准教授の態度がおかしいとは気づいていたようです


後々わかったのですが、どうやら准教授の生贄になる人が一人必要だったらしく
その生贄兼サンドバッグが僕だったようです。



というわけで大学院入学してから2ヶ月強の出来事でしたが、
長くなったので、今回はここまでにいたします。



もうそろそろ先生がゲーマー専門の家庭教師になっていくまでの
過程がお話できると思います٩( 'ω' )و


そして、よかったらスキ、フォローよろしくおねがいします。



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