見出し画像

五島列島、祈りの島。信じる心が続く理由。【旅先案内人 vol.15】五島リトリート ray#1


普段、私たちの運営施設をご利用くださっているお客様を対象に、私たちの宿に関わる人々に焦点をあてたニュースレター、「旅先案内人」をお届けしています。

【vol.15】から、数回に渡り、五島列島にまつわる連載を配信いたします。この夏新しく開業した五島リトリート ray。五島列島の"地域の光"をご紹介していきます。

(温故知新 運営ホテル:瀬戸内リトリート青凪・壱岐リトリート海里村上・箱根リトリートföre &villa 1/f ・KEIRIN HOTEL 10・五島リトリートray)

空が近く、どこまでも広い


五島列島で暮らしていると、空を見上げることが多くなった気がします。遮るものが何もない広い空、迫力のある雲、眩しい太陽の光、夜には季節の星が煌めいて...

五島リトリート ray

感動的な景色が、日々の暮らしに当たり前のように存在しています。

島の人は、「毎日のことだから慣れてしまった」と言うけれど、それでも星が美しい日は、「今日は星が綺麗かね!」と声をかけてくれるし、よく晴れた気持ちの良い日には「海にはいかんと?」と、嬉しそうに笑顔を見せてくれます。

5つの主要な島と大小140余りの島々が連なる五島列島。私たちのホテル「五島リトリート ray」はその中の”福江島"にあり、五島列島の中では最も人口が多く、中心地として栄えています。近年はUターン者や島外からの移住者も増えているのが特徴。車を走らせれば、すぐに手付かずの自然にアクセスすることができ、人の営みと雄大な自然がほどよく存在しているのも、人気の理由だと感じます。

さまざまな文化が折り重なって島の中に息づいており、貴重な地形や地質が残るダイナミックなジオパーク、古くから本土とアジア大陸を繋ぐ海の要所として、空海をはじめ遣唐使船が行き交ってきたという史実も。2017年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録され、”祈りの文化”が継承されています。

島の営みに触れると、やすらぐリゾートとして開放感に浸るだけではなく、奥深い歴史から、心に感じ入るものがあります。それは、五島には決して明るい物語だけではなく、現代に生きる私たちが改めて触れるべき、”光と影”が存在しているからだと感じるのです。

人々の生き様が詰まった歴史が、目の前に

「人間の命が吹き込まれている。それが五島列島の、世界に誇る価値です。」

福江教会主任司祭の中村満神父

そう語ってくれたのは、福江教会主任司祭の中村満神父です。堂崎天主堂や井持浦教会などをはじめ、福江島には多数のキリスト教会堂が点在しており、”潜伏キリシタン”の歴史を知る上で重要な舞台となっています。

宣教師フランシスコ・ザビエルによって、日本にキリスト教が伝わったのは1549年の戦国時代の頃。以降、九州地方を中心に急速に広まり、長崎港を開いた大村純忠などのキリシタン大名も誕生。しかし、17世紀に入り、江戸幕府が布告した”禁教令”をきっかけにキリスト教徒に対する非常に厳しい弾圧が250年以上続きました。

キリスト教禁教期の日本において、表向きは仏教徒などを装い、密かにキリスト教の信仰を続けていた人々のことを「潜伏キリシタン」と呼びます。五島列島には数多くの潜伏キリシタンが存在し、250年もの間、信仰が途絶えずにひっそりと受け継がれてきたのです。

「下五島には世界遺産にも登録されている、象徴的な教会堂があります。久賀島にある『旧五輪教会堂』です。久賀島には、信仰を表明した200人余が6坪ほどの牢屋に8ヵ月間閉じ込められ、子どもを含む42人の殉教者を出したという過去があります。その後、弾圧を生き延びた人たちが自分たちの信仰のシンボルとして建てた教会堂が、この旧五輪教会堂です。

そんな人々の生き様が詰まった歴史を、いま私たちの目で実際に見て触れることができる。それが、ユネスコの世界遺産のタイトルとなった所以だと考えています。」

(写真提供:(一社)長崎県観光連盟)

実は、中村神父ご自身も久賀島のご出身で、ご先祖様が実際に牢屋に捉えられました。曽祖父の家族5人が入牢し、まだ幼かった娘3人を失ったそうです。

「私自身、小学生の頃、学校帰りに小石を投げられたことがあります。キリシタンだったからです。実は、江戸時代にキリスト教を棄教した集落の子供たちが投げていたんです。それは自分達が棄教したという事実を知らず大人たちからそそのかされていたのでしょう。誰が、どういうルーツや背景を持っていて、その人にはどんな苦労があったのか。歴史的事実と共に、『人』をみないといけません。弾圧や争い、殉教も、多角的に見ないとわからないことがあると思うんです。」

命を繋いだ、”祈り”と”さつまいも”

想像を絶する弾圧を受ける中、なぜ250年も信仰を守り続けることができたのでしょうか。中村神父に尋ねてみると、予想外の答えが返って来ました。

「それは、”祈り”と”さつまいも”です。

まず、祈りについて、信仰を維持するための信心用具を持っていたこと、教会の暦(こよみ)に沿って生活していたことが大きな要因です。信心用具というのは、お祈りをするための祈り本(※オラショ)、ロザリオや納戸神(納戸の棚に聖画像を祀ったもの)などの”道具”のこと。教会の暦というのは、クリスマスやイースターを祝うというように、キリストの生涯を一年で辿る暦のことです。

次に、さつまいも。さつまいもの栽培方法を知っていたことが、彼らの命を繋ぎました。潜伏キリシタンの多くは、長崎外海地方から迫害を逃れ移り住んできた人たちです。当時、島には既に住民がおり、環境の良い土地には住めなかった。そこで、どんな荒地でも育つさつまいもは、生きていく上でなくてはならないものでした。

また、隠れて移り住むため、関所を通過できない、そうなると海からこっそりと島に上陸するしかありませんでした。そのため、傾斜地でも水と未開地のあるところに住んだことも、彼らが生き延びるために功を奏しました。」

※オラショとは、祈りの意。潜伏キリシタンの祈りの言葉集。

五島列島を訪れると、「かんころもち」というさつまいもを使った五島独自の食文化をそこかしこで目にします。「かんころ」とは五島列島の⽅⾔で、薄く切ったさつま芋を茹でて干したものを意味し、もともとは保存⾷として作られていました。

オリジナルのかんころもち

現在でも、その家庭ごとに作り方が受け継がれていて、島の人から親しまれるソウルフードなのです。ホテルでは、島の文化に触れていただきたいという想いを込め、ウェルカムスイーツとして、オリジナルのかんころもちをご用意しています。島の食文化ひとつとっても、その場所に生まれる必然性があり、今に続いていることを実感します。

多角的に知ることで、真実に出会える

「歴史と歴史が重なる時に、新たな発見があります。ハンバーガーを想像して欲しいのですが、パンだけ食べてもおいしくないですよね。パンと野菜とお肉を一緒に食べて、はじめて本当の味に出会える。五島も同じで、ある1つの側面だけを知っても、意味がない。歴史や文化を多角的に知ってこそ、本当の五島を味わうことができます。そこに、リピートしたくなるような魅力があると思います。」

複雑な人間模様は、決して一つの側面から語ることはできません。光もあれば、影も生まれる。いま世界で起きている紛争や、私たちの日常に潜む争う心などにも当てはまります。かつての人たちの生き様を、さまざまな角度から知ることに、現代を生きる私たちへのヒントが隠されている。中村神父からのお話から、そんなメッセージを感じました。

豊かな自然と共に、先人たちの苦難や葛藤、奇跡のような喜びがあること。五島列島を巡り、そのストーリーを体感いただければ幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?