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「ほどほどの興味」コレクターが身を救うこともある

自分にはいくつかの興味対象があります。このnoteシリーズでマガジンにしている自然観察はそのひとつで、その他にも工作やライフスタイル、モノ書きにも興味があるのでblogをはじめて今はnoteにその板を移してきました。だけど、どの興味も「寝食忘れて没頭する」ってもんでもないのがミソなんです。

私の周囲の人達は、自然観察が好きな人だと、そう私のことを考えていろいろな活動に誘ってくれたりしますが、そういう方々には申し訳ないけど、あまり気乗りがしないことの方が多いです。だから多分、アイツは気まぐれな人だと思われているんじゃないのかな?

今は地元の小学校で総合的な学習の時間という授業があって、その授業サポートをやっています。上述した「誘ってくれた活動」に興味が湧かず、学校の授業にだけは強い興味を感じることになった理由は、子ども達に接するのが好きだから、というのも少しあるけど、ヤル気の主体はそれでもなく、先生が私に言った「今まで総合学習授業を住民と協働で何度もやろうとしたんだけど、うまく進まなかった」というぼやきがあったからです。

誰もやっていないなら、何のシガラミもなく「勝手にできるかも!」それがヤル気の元になりました。自分の好きなことだけを組み合わせて、うまくいきそうな仕組み(プロセス)を作り上げる過程が、これこそ寝食を忘れるほど熱中できそうなこと。私の場合はそういう好奇心なのです。

誰かが私のやっていることを眺めて「あの人は生き物が好きなんだ」「子どもと遊ぶのが得意なひと」とか、こういうように思い込むのは仕方がないとして、実はそのような他人が見えることの多くは興味の道具、と言ったら語弊がありますが「興味の部分要素」みたいなものです。

そのような「ほどほどの興味の部分要素」は私はさまざま持ったことがあり、現在ではもう興味レベルが下がってしまったものも、もし機会が整えばレベルが上がるようなものもあるでしょう。「街興し」はそのような例で、何年か前にのめり込みましたが、今はお蔵入りしている興味です。

私の記憶の中にはそんなお蔵入り興味や、現在活用中の興味もあるし、今気が付いて興味を持ち始めたようなものまで雑多ですが、
学校の授業サポートは「自然観察」と、かつて興味を持ってその後はお蔵入りになっていた「街興し」を組み合わせて、サラリーマン時代にやったプロジェクト計画を使って学校にプレゼンをしたら「じゃ!やろう!」となったものです。こんなことが私の「好きなこと」です。

私には短所があります。
もう誰かが進めてしまっているものには好奇心の食指が動かない。そういう短所が私にはあります。これは自分自身の「好きなこと」を探すのにとって明らかに短所になります。
好きなことはやりたいようにしたい「わがまま」な短所の持ち主なので、もう既に先に取り組んでいる人はその障害になるとすぐに感じてしまって、同じ「好きなハズのこと」でも興味がまったく湧かないのです。上述した学校の授業サポートは、たまたま前任者がいなかったので、素直にわがままに前に進めて行くことができました。これはラッキーでした。

さらに小学校の授業サポートなので、やった結果が出ることになります。良かったら翌年も、良くなかったらもうお断りになるということです。こういう状況下で継続できるという結果は、単に好きなことをやった!という自己満足だけじゃなくて役に立てている(だろう)という社会貢献になっている(だろう)から、ヤル気が長く維持できています。

もうひとつまったう別の好きなことも今やっています。
「観光」のプロセス作りです。私は京都に住んでいるので観光にもかつて興味を持ち、セミナーにも足を運びましたが最近までお蔵入りの興味になっていました。今まで大学ゼミの街文化調査とかの観光じみた活動もやりましたが単発で終わりになり、それだけでやめていました。

ところが外国人観光客が多い京都で、海外からの観光客の夜の観光要素が日本には乏しいという課題があるそうです。日本人の観光旅行社の夜は居酒屋に行く手があって居酒屋はいっぱいあるけど、外国人はお酒を飲まない主義の人もいるし、居酒屋でどう楽しいのか分からない人も多くてホテルでヒマにしている方々も多い、とかいう話しがあるようです。

これもたまたまそういう課題を見つけて何か動こうか!?という人がいるので、ではその仕組み作り(何をどんな具合にして楽しい夜の観光を提供するかというプロセス作り)を共同で考えて試してみようか、というのが今あります。

上述の自然観察授業サポートとはまったく違うので、きっと両方をいっぺんに見た人は「いったいこの人何に興味があるのかわからない??」みたいに見えるかもですが、プロセス作りだ!という点で興味の対象が一致しているわけです。

このように、個々のことには特段強い興味が湧かなくて、特に定年後に何やっていいやら想像がつかない人は、今までの経験や多少の興味を組み合わせると新しい興味の発見があるかもしれないことも一度考えてみたらどうかと思いました。

さらに上述したような私のわがままな短所の無い人はもっともっとやることの可能性が広がると思います。




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