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エッセイ:さて。一輪車などについて

 僕は、いま、「私は」という気分だ。
 なんと、作文において一人称は書き手の自由だ。ともすれば、この文章を「私は」で書き綴ることもできてしまえる。
 しかし、それはしない。なぜなら僕は節度というものをわきまえているからだ。
 あるいは、わきまえていたいと考えている。

 いまさっきアリス・マンローの短編を二つ読んだ(「日本に届く」、「砂利」)。話を読んで、顔を上げて書き始めた。
 読んでいたとき、たしかに、その話の六合目のところでは首を傾げていたはずなのだが、頂上までやってきてしまうとすっかりすべてがおもしろく落ち着いてしまっていた。六合目で感じていた不合理や手際の悪さはどこへ行ったのやら。僕はいつも「ずるい」と不平を言う。迷路に入れられたワラジムシのようだ。騙された気がしてたまらない。

 今日書くことは決まっているのだ。それは三つ。
①アリス・マンローの短編を読んだこと。
②一輪車のこと。
③直しのこと。
 すでに①については話してしまった。僕はそれを「ドトールコーヒーショップ」で読んだ。そこでほんとうに「ずるい」とひとりごちたのだ。
「ずるい……」
 ひとりごちることは、あるいは節度ないことかもしれない。じっと、目線を集めてしまうおこないなのかもしれない。
 まあ、「ドトールコーヒーショップ」はなかなか騒がしい場所だし、大丈夫だろう。

 ③について。②については、考えているところだ。実際には読書といっしょに一輪車についてのアイデアを出しておこう、お昼の段階からそう心に決めていた。「実行できれば」ということだけど、いまになってもその計画はなかなかイカしているように感じられる。小説がおもしろいところでは読書に注力すればいいし、退屈なところでは空想を膨らませればいい。
 まえに僕は小説を書いた。いや、それはうそになる。まえに僕は未完成の小説を期限ぎりぎりで提出した。
 だから僕はその小説をきちんと直してやらなきゃいけない。書いたのは8日のことで、今日が19だから、もうすぐ二週間ということになる。
 しかし僕はまだ直しの作業を終えていない。どうしてか? それはなかなか決心がつかないからだ。
 つまりぐずっているのだ。冬の夜のトイレの子供のように。
 なおしなんて、と思うかもしれない。あるいは僕に同情してくれるかもしれない。どちらにせよ、僕は今日その作業をきりきり進めないとならないのだ。ほんとの期限はいくらか先なのだが、明日友人に会うことになっていて、そこでも未完成というわけにはいかないのだ。やれやれ。
 そのなおしの作業はそこそこ骨が折れる。チェックだけで済ませることができないたちのやつだ。ある程度新たに創作しなければならないだろうから。

 こうして書いてみてから「それほど具体的に書く事柄ではないようだ」と気がつくときがある。どうして書くまえからわかっていられないのだろうか。改行をし、個人的な事情をうちあけ、先にもう書いた話をテープのように繰り返す。そうしてごまかしてはみるものの、やはりアイデアのほうはすっからかんで、まあつまり、③はこれで終えなくてはならない。

 で、②だ。これが本題だ。
 しかしおわかりであるとおり、僕は②についてつらつらと書いていくアイデアを持っていない。おっと。このままでは③と同じ道をたどってしまいそうだ。
――一輪車。これは一見魅力的なテーマだ。生活ととても近すぎることがない。同時に遠すぎることもない。言葉で「一輪車」として書いてみても小鳥のように健康で、「いちりんしゃ」という発音もしろい糸のように温かみがある。
 これは罠で、一輪車は実際にはそれほど書けるテーマじゃない。なぜなら一輪車は子供時代の、それも女の子たちの昼休みに限定された、ひどく身動きの取れないワードだからだ。無理をしていまの時代に一輪車を引っ張ってきても、サドルの上はすでに女の子でいっぱいになっている。彼女たちは黒に近い色のスカートをたくしこんでいて、髪のセットが崩れることも気に留めていない。一輪車について書けるのは結局これだけだ。一応一輪車が登場する小説について語ることはできる。でもそれならその小説を読んでくれ、となる。
 というわけのために僕はこれを倍にして、二輪車とした。

(しかし書いてから思うのだ。二輪にもどっさり、放課後の男の子たちがひっついているではないか)

 二輪車で競走したのは川沿いの道だ。それは長くて細く、左右を緑のフェンスで囲まれていた。僕が勝ったのか、彼が勝ったのかは覚えていない。
 僕の二輪車はちびっこくて、周りの子や、彼のやつと比べるとなると、「まえの」と呼ばれるたちのやつだ。かごがついていて、青の塗装はまだしんぼうづよく張り付いている。
 二輪車を電信柱にぶっつけたことが一度だけあった。そうしようとしてやったのではなく、完全な事故だった。公園の一角で二輪車をぶいぶいかましていて、牛のようにひどくやってしまった。僕のところにとんでもない衝撃がやってきたのだが、幸い怪我はなかった。電信柱にやんわり断られてかごのところはへこんでいた。それも大したことはなかったけれど、やはり初めての事故は僕の心のほうをぐらぐらとさせた。
 そのあとには、数カ月あとにはということだけど、何度かおのずからで壁や柱に向かって二輪車を追い立てた。無傷のままスリルを覚えてしまったのだ。当たる直前には歯を食いしばったし、ブレーキのところの指も勝手に働いた。
 
 競走ではそのタイヤの大きさに関わらず、僕が優勢だったのかもしれない。さっき言った通り、勝ったかどうかは定かでないのだけど。
 僕が覚えているのは次のようなワン・シーンだ。僕は長い下り坂を終えて、長い上り坂も終えていた。下り坂ではぎゅっとハンドルに力をやりつつブレーキは使わずにいた。前だけを見て、両足を横に上げて、加速を最大限いかしていた。
 上り坂では自動で高速回転するペダルをつかまえ、ぐいぐいと、さっきまでの下りのことを忘れるな! と、気を入れてこいでやっていた。上りは下りよりもずいぶん短く、かなり急だったが、それでも鈍くなることはなかった。僕はうまくやれていたのだ。
 振り返ると、下りの中腹に彼の二輪が見えた。それは雄牛のようにいきりたっていて、そのまま上りの坂面に突き刺さってしまうようにさえ思えた。タイヤはバネと回転の役目を果たし、上りに差し掛かっても刺さったり、よろけたりせず、僕に向かって一直線の加速をみせていた。
 そのとき僕がおぼえた恐怖にはリアリティがあった。そこで僕は勝つことを捨てていた。ただ道は狭かった。二輪車を寄せようにもぶつかってしまいそうだった。
 僕はひたすらにそこからこいでいた。それまでの技術を駆使した走行はどこにもなく、力任せの、無駄ばかりの回転だった。力のみでも二輪車はぐいぐいと速度を増していき、空を切るように素早かった。僕は大量の汗をかいていた。靴下は濡れ、シャツは沈んでいた。こうして風のなかを走っているのにまったく心地よくないのは後ろのことを恐れているからだ。それが尽くわかっていたし、これから十数秒ほどずっと恐怖から開放されることはないのだ、ということも先に続いた長く細い道のことから理解していて、ぞっとしていた。僕のささやかな二輪車の無敵はそうして終末を迎えた。競走以降、もっと大きいのを手に入れても何回かは壁とかに突進してみた。おそらくそれは二輪車の強さが揺るぎないものだと信じたくてそうしたのだろう。あるいは、過去の二輪の不甲斐なさに、いらだちを覚えていたのかもしれない。






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「これは過去作」
 それだけ書いてみると、モーゼの言葉のようにも思えてくる。

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