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短編小説:寺院

「なあ」
「なあ?」
「ん……なあに?」僕が呼びかけると、その小ぶりな影がこちらに向き直る。
「ダンスはどうだい?」
 彼女は甘ったるい声で「うーん」と唸ってみせる。考えるふりをしながら、この暗いフロアのなかで僕の両目を探している。緑色の艶やかな瞳が僕に向けられる。そして、彼女は僕に触れる。
「うーん……どうしようかな? ふふっ……」
 彼女はまたも甘ったるい声でそう言う。僕の身体に彼女の手がふれる。まさぐるようにして闇のなかで滑らかな彼女の手が動く。「ねえわたし、すこしお小遣いがほしいのよ?」僕の耳を発見した彼女はそのように囁く。「ほらね……わたしすこしあればいいのよ……ねえ、そういうのがあれば、あなたのこと、とっても好きになれるかもしれないわ?……」
 また、彼女の緑眼が煌めく。その輝きからは狐のような狡猾さと、淫蕩のほとばしりを感じられる。僕は下着と肌の間にしまっておいたそれを、慎重に取り出す。ざらついた紙の肌触りとともに、一枚、二枚とそれ数えていく。
「どれくらいほしいんだい?」僕は訊く。
「ふふっ……そうねえ。”5”くらいあると、わたし、とっても嬉しいの」
 若者であふれるフロアのざわめきのなか、彼女はまた甘美に囁く。僕は七回数えて、それをより分け、残りを胸元にしまい込む。彼女の吐息が耳たぶにかかっているのがわかる。空いているほうの腕で彼女をそっと抱き寄せ、密着させる。そして彼女の柔らかなおなかのところへ、七枚押し付けてやる。彼女は必死に見えないよう、それでいて確実に受け取ると、慣れた手つきで、とても敏捷に数えていく。しばしあって、彼女は鼻息を荒げて僕にその前身を摺り寄せる。
「なんだかわたし、あなたのことを急に好きになっちゃったみたい」いまでは甘い声ではなく、嗚咽交じりの甲高い声となってそれは響いている。
「いいことしましょうよ。ねえ?……」そう言って、彼女は僕の服と服の間にその滑らかな手を差し込む。僕のそれのうえを彼女の指がすべりはじめる。僕はもっと強く彼女を抱きしめる。僕のごつごつした手を、彼女のところへ滑り込ませていく。耳の奥に彼女の吐息、そして他の若者たちの情熱の叫びが、夏の夢のようにぼんやりと響き渡る……

 僕は神々の像を拭いている。わずかなロウソクを頼って寺院内を歩き、礼拝の人がいれば示しの声を与えて回っている。
「仕事がないんです、司祭さま」――町宿の方が門番を探していましたよ。
「孤独なのです、司祭さま」――あなたのために、わたしは毎夜祈っていますよ。
「死が怖いのです、司祭さま」――わたしも怖いのです。しかし、祈ることは許されていますよ。
 最後の礼拝者にお札を与えると、僕はじめじめとした暗がりの寺院のさらに奥へと帰っていく。石造の部屋でしばらく本を読み、最後のロウソクを消して布にくるまる。闇が今日のことを想起させる――あの情熱のことを思う。騒々しく、熱のぶつかり合う暗闇のことを思う。彼女の香り、湿っぽく滑らかな手、そして触れる五指――膨らんだ自分のものを激しくさすり、悦楽を完全なかたちで終える。そして、汗でだめにならないように、懐からお札をすべて取り出す。明日もあの闇に情熱を期待しながら、静まった寺院の奥で僕は深い眠りにつく。

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