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(勝手に)私の履歴書(2) 言われたことは何でもやったカタログ通販入社時代

偉人でもなければ他人から尊敬される人間でもない私ですが、この年齢(53)になっても好奇心が衰えず、新しいことに興味が湧く性格が災いし、スリリングな人生を歩む羽目になってしまった自分の半生を振り返ると共に、私がどう言う人間かという履歴を残したく、(勝手に)私の履歴書なるものを書いてみることにしました。本家、日本経済新聞の「私の履歴書」は成功者の歩みを綴るというオーセンティックなものですが、自分自身にそんな資格があるわけもなく、ただ、自己満足のために綴っていくことをお許しください。不定期に更新していきます。第2話です。

何も考えずUターンしたせいで浪人生活

大学4年間(西宮)、新卒時3年間(京都)を経て、私は実家のある四国高松にUターンしました。ゆるく転職活動しながら3ヶ月ほど無職。1993年当時、今のように、また都会のように転職口が多いわけではなくなかなか良いご縁がありませんでした。地元のテレビ局や新聞社、FMラジオ局にアタックしましたがどれもダメ。そもそも枠が少ない上にテキスタイルしか触ったことない人間にはなかなか狭き門でした。威勢良く京都を飛び出したは良かったのですが、なんくるないさーというわけにはいかなかったのです。週に1度くらい仕事の話で誰かと会ったりしたのですが、そのほかはほとんどヒマ。毎日図書館行って本読んだり、まだ大学生をやってる友人とゲームをして過ごすような毎日になってました。さすがの私もアカン、このままだとダメな人間になると思い始めてました。

ご縁で受けたが入社までは決してスンナリではなく…

 ある日、母親の知人からお口添えいただき、当時急成長していた高松本社の通販会社(セシール:現ディノス・セシール)の面接を受けることに。ここでまた1つドラマが。まず入社テストを受けたのですが、私がテキスタイル畑にいたこともあり、商品部採用のアパレル問題中心のテストを受けさせられたのですが、これがまったくわからず終い(笑)。落ち込んでいたのですが、なんとか後日、面接まで進むことができました。本社に着き、面接を受ける前にトイレをお借りした際に、入ってこられた方(いわゆる連れションというやつです)に満面の笑みと張った声で「おつかれさまです!」と挨拶しました。「元気がええな、君は?」と聞かれ「本日、採用面接に来た大西と申します!」と答えました。面接会場に入ると、さっきトイレで連れションした方がいらっしゃいました。なんとその方は副社長だったのです。
 面接の数日後、人事から連絡があり、商品部採用としては不採用だったのですが、別部門担当の役員がもう一度面接がしたいと言われ、首の皮一枚つながったと思い、再び面接へ。そして通された部屋にいらしたのは、副社長だったのです。今でもはっきり覚えてますが、それは面接というより雑談に近く、20分くらいお話した最後に「私はね、元気で明るい人間が大好きだ。君はテストも面接も今ひとつだったみたいだが、マーケティングとか営業的な仕事をやってみる気はあるか?」と聞かれ、このタイミングを逃してはいけないと思い「はい!と即答しました。そんなやりとりの末、私は当時のセシール営業本部販売企画課というところに無事入ることができたのです。

毎日のように行われる人事異動、コロコロ変わる組織編成

 当時の創業オーナーも経営陣もいないので時効と考え、いろいろ書きますが、先述のようなご縁で入ったセシールですが、入社から驚きの連続でした。初日、配属された部署で私にあれこれ説明してくれた課長は「私、明日異動で別の部署に行くのであとは◯◯に任せるよ」と。そして、ローカル企業なのに売上高が2,000億近くあり、成長真っ只中だった会社には毎週のように中途入社がいました。毎週月曜日が入社日で、私と同日入社も5人くらいでしたね。配属された販売企画課というところも記憶では十数名ぐらいのセクションでしたがプロパーは2割ぐらいだったと思います。
また、組織もしょっちゅう変更されます。くっついたり離れたり、新しい部ができたり、潰されたり…成長著しい企業ってのはこういうものなのか、と思ってましたが、たぶん違いましたw オーナーの逆鱗に触れると閑職に飛ばされますし、お気に入りにされると出世が早くなるという、まさにローカルオーナー企業の典型だったのです。
中途組も本当多種多彩で、私がいたチームも、証券会社、小売、コンサルティングファーム、商社、電機メーカー、建設機器など本当びっくり。

右も左もわからないままの毎日で知らぬ間に身についたビジネス力

さて、仕事はと言うと、カタログ通販の会社ですが、商品にもカタログにも触れることがなく毎日が過ぎていきます。もちろん間接的には関わるのですが、私が所属した部署は会社全体のコントロールタワー的部署で、いわゆるマーケ業務です。誰にどのカタログをいつどのように配布していくか、新規獲得施策は何をするか、より長く使っていただくためにどんなサービスが必要か、通販以外の売上を作るのにどんな新規事業が展開できるか等々。何かを展開する際は必ず全部署に合議を取り付けねばならず、りん議の際に役員たちに稟議書を持って説明に回るということが憂鬱でありながらも、短時間で物事を説明する力やドキュメント作成能力、関連部署の現場から同意を得るための調整力などが日に日についていったと思っています。
当時私が関わったプロジェクトや業務、たくさんありますが記憶に残っているものをいくつかご紹介しますと、
・通信教育からの撤退が決まり、教材購入者の方々への事業撤退のお詫び電話(アウトバウンド)
・某旅行代理店と業務提携して制作した通販旅行カタログ
・当時いた4,000人くらいの従業員向け社内販売(家電や消費材を格安で仕入れて社内販売する)
・酒類免許取得して初の通販ワイン販売
・今や当たり前となったコンビニでの料金後払い(業界初)
・紙カタログが森林伐採による地球温暖化につながるとの危機感からCR-ROMカタログを発行
そしてこの頃からカタログから別のメディアへの研究気運が高まり、私の業務範疇も、マルチメディアとか新メディアへと移行していきます。そうです、時代はWindows95によってグイグイっと変わっていくのです。
そうそう、第1話で出会った妻とは遠距離となりました。月に一度、私が会いに行ったり、あちらが高松に来たりという感じで、出会った頃が1.0なら付き合い方2.0になった感じです(謎)
以上、第2話終わり。

Cover Photo by Green Chameleon on Unsplash