私の「トラウマ」体験 その3(考察)

 今回はその1とその2で見えたことを考察していきたいと思います。その1は支援員(女性)と利用者(私、男性)、その2はセラピスト(女性)とクライエント(私、男性)の関係性を取り上げました。
 サラッと見たり読んだりしている分には女性の方が立場が弱いから身を護るために言っているのだし、男性のあなたが優位に立っていることを反省する必要があるという意見もあると思います。しかし、この考え方は決定的に間違っていると私は考えています。
 誤解を招く表現ですが、彼女たちは女性では「ありません」彼女たちは支援員やセラピストです。私は男性ですが利用者でありクライエントです。要するに、彼女たちは男性である私より立場的に「上」であり、私が「下」になります。そこには非対称的(対等ではない)な権力関係が存在します。そこにある差は10対1ぐらいと考えていいでしょう。なので立場的に「上」であるということは「下」を対等にしていく責任や義務が発生します。そう考えていくと彼女たちはその責任や義務を果たせていないということが理解できます。
 彼女たちは自身の言動をジェンダーとか男女平等と関連付けて主張するのでしょう。しかしそれらの本質は力ある立場と力ない立場の間にある非対称的(対等ではない)な権力関係であることを全く理解していません。彼女たちがそういう主張をしたいならば、私のような「下」ではなく自分たちより「上」の立場にぶつけなければなりません。そのことが「下」の立場を対等にしていくことにつながってくるわけです。「下」にぶつけてしまえば、私のようにトラウマになり得るのです。私はそういう女性たちに何度も遭遇していますので、女性でも「上」の立場になればその立場を果たしてもらわないと困ります。「同じ人間だから言っていい」のではありません。立場が違うから違う人間であることはもっと強調されていいと考えています。
 女性の方には世知辛い話になったことは申し訳なく思います。ただここでの考察は女性全体を否定するものではなく、男女関係なく「上」の立場であるということはどういうことか、そのことを常に自問自答していただくことに焦点を当てました。そのことを真剣に考えて支援に取り組む女性の方がいることも私は知っています。
 今回も読んでいただいた方に心から感謝申し上げます。
 


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