2023年(令和5年)を振り返る その2

 その1では、2023年(令和5年)の出来事を記憶の範囲ですが、時系列的に整理しました。その2では、ピアノレッスンについて、「ピアノレッスンでのトラウマ、その後」の続きとして、評細に語りたいと思います。
 12月31日現在、「ピアノレッスンでのトラウマ、その後」に書いてあるように、私は別のピアノ教室に通っています。月2回ほどで、1回40分ぐらいです。最初に通った某大手企業Yの時は、1回30分のレッスンで私が弾いていることが多く、講師とはあまり話はしませんでした。時間的に短かったことや某大手企業Yの方針等もあり、余裕を持って話ができる環境ではなかったのかもしれません。もちろん現在も弾くことは変わりませんが、ピアノ講師からの話も多く、私もある程度は話します。それから、現時点で使っている楽譜は初級の練習曲ですが、これを「曲」に仕上げてくださいというのがこの講師からのいつもの「課題」です。ゆっくりやりましょうという方針なので、この「課題」はいつも1曲か数曲ほどです。ただ、この講師は私の場合は「弾ける」けど、「曲」として仕上げる力が不足していると捉えているのでしょう。だから、私が弾いた後に「曲」として仕上げるとはどういうことか、どうしたらいいのかという話をよくします。
 私なりにその話を嚙み砕いていった成果でしょう。ここ最近のレッスンでは「色彩感が出ている」とか「あなた(=私)の演奏は音楽が好きな人がするものだね」と褒められました。今年最後のレッスンでは「失礼かもしれないけど、成長しているね」とも言われました。どれも素直に嬉しい言葉でした。
 今のピアノ教室で学んだことがあるとすれば、「楽譜」の外の事柄です。「弾ける」ことは確かに大事ですし、私もそうしたいと常に考えています。ただ、「弾ける」とは「楽譜」に書いていることを模倣することであってそれ以上ではありません。「楽譜」に書いていないこと、つまり「楽譜」の外もまた大事になることが少しずつ理解できるようになりました。「色彩感」や「音楽好き」はもちろんですが、「andante」(アンダンテ)という速度記号にしても、作曲当時と現在では「ゆっくり歩くような速さ」は違うとか、欧米と日本では音楽に対する捉え方が違う等という音楽史的な話は「楽譜」の外の話です。でも、そういう音楽の勉強が大事なのだと講師は言います。「弾ける」だけでなく、「楽譜」の外も大事にして深めていくことで音楽で人を感動させられるとも講師は語っています。そのことが「曲」として仕上げるということなのだろう、と私は理解しています。
 今のピアノ教室に通って4カ月。少しずつですが「弾ける」ことと音楽の勉強(「楽譜」の外)がつながる感触があります。両方とも面倒なことではありますが、これからも単なる「楽譜」の模倣に終わらず、「楽譜」の外も考慮して「曲」として仕上げられるよう、ピアノを弾き続けたいと考えています。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。

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