『臨床に救われ、臨床に傷つき、臨床に再び救われる』

 最近、noteに臨床心理に関する事柄を書いていることが多いように感じます。『特集 被害者を支援するー性暴力や性虐待を中心に』(遠見書房)、『はじめてのメラニー・クライン グラフィックガイド』(松木邦裕監訳、北岡征毅訳 金剛出版)、『精神分析にとって女とは何か』(西見奈子編著  福村出版)、『心理臨床と政治』(信田さよ子・東畑開人編 日本評論社)を読了し、自分なりに考えて整理していきました。自分でもまた臨床心理について考えるとは想像もしてませんでした。ASD当事者の1人として、ASDは対人援助には向いていないと思い込んでいたからでしょう。ただ、それは『臨床で傷ついた』出来事がトラウマになったことがキッカケだからとも考えています。その話から始めたいと思います。
 私は元々、臨床心理士を目指し、臨床心理を大学で専攻しました。そこでのゼミでロールプレーをすることになりました。私がセラピスト役で相手の女性がクライエント役で、設定は初老の女性でした。クライエント役の女性が一言二言話をしてから、私はこれはもう少し話すだろうと予想し沈黙しました。しかし話してくれません。この状態が5分ほど続き、ゼミの教員が止めました。その時のゼミ生や教員の反応は私に対する非難に溢れていました。また、その日、スクールバスで帰った時も同じゼミにいた男性が私の悪口を言っていました。次の日に心理学演習という講義があったのですが、教室に入ろうとすると、これまた私のゼミでの出来事に関する陰口が聴こえてきました。
 ゼミ生や教員からの非難、ゼミ生からの悪口、ゼミ生以外の学生の陰口により、私は『臨床で傷つ』きました。それ以前は1人のカウンセラーとの出会いで『臨床に救われていた』自分が『臨床で傷つ』きました。それは10数年間に渡る様々なトラウマ的出来事というトンネルの始まりでした。
 しかし、私は現在、『臨床に再び救われ』ています。信田さよ子氏の『家族と国家は共謀するーサバイバルからレジスタンスへー』(角川新書)がキッカケで、原宿カウンセリングセンターのオンラインカウンセリングを受けられる幸運に恵まれたからです。2024年6月現在でも継続しています。ただここで強調しておきたいのは、現時点では『臨床に再び救われ』ているということであって、将来ずっとこの状態が続くかは分からないということです。『臨床に再び救われ』る状態が続けたいと思っていますし、その状態を続ける努力はしていきたいと考えています。その状態を継続するためにカウンセリングを受けたり、先に紹介した著書を読んでいるのだと思います。
 現在の私の臨床心理は信田さよ子氏の考えを軸にしています。その上でメラニー・クライン等の精神分析等、他の様々な理論を自分なりに落とし込んでいます。そうする過程において、私なりの『臨床(心理)』を少しずつ整理していると実感しています。保育士や精神保健福祉士の資格を所持しているとはいえ、私の原点は『臨床(心理)』であると思っています。今のところ、臨床心理士(公認心理士)になる気はありませんが、それでも私が今後、保育士や精神保健福祉士の資格を使用するにあたって、『臨床(心理)』はその土台になり得ると考えています。
 『臨床に救われ、臨床に傷つき、臨床に再び救われ』た私が今後どんな道を歩むかは、もちろん予測不可能ですし、まだ検討中の段階です。ただ、『臨床(心理)』を土台として対人援助を展開していくことだけは疑う余地がないと言い切れます。そのことは『暴力やハラスメント、トラウマのない社会を目指す』という意味と同義であると考えています。
 ここまで読んでいただいた方に心から感謝申し上げます。

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