『#Ku Too(クートゥー) 靴から考える本気のフェミニズム』(石川優実著  現代書館)を読んで

 『#Ku Too(クートゥー) 靴から考える本気のフェミニズム』を読了しました。読み応えのある本だったというのが率直な感想です。特に「2.#Ku Tooバックラッシュ実録140字の闘い」は読んでいてそう思いました。ただ同時に、こんなにも著者をマウントして叩く人がいるとは呆れ返りました。男性が多いでしょうが女性も一定数存在すると考えています。
 読んでいる最中に、私はあるトラウマを思い出しました。それは『私の「トラウマ」体験 その1』における就労移行支援Sでの交渉担当女性支援員のことです。私が手伝うように強く頼んだところ「一部じゃないんだぞ‼」と応えた人です。ここでの関係性はあくまで支援員と利用者であって、女性と男性の関係ではありません。なので、この支援員が「この男性が女性を所有物扱いしている」と見做して上記の言葉を発するのは間違いです。これはジェンダーやフェミニズムを利用して支配したいだけと考えています。
 『私の「トラウマ」体験 その1』で書いているとおり、私にとってジェンダーやフェミニズムとは、本質的には力ない人(立場)と力ある人(立場)の関係性です。この著書では「差」(同P9~10)という言葉に集約されていると思います。『足元に「差」があるにもかかわらず。』(同P9)『~こうした「差」を、もう無視できなくなっていた。この「差」に触れずに性差別を解決するなんて、そんなの解決じゃない。根本解決にならない。』(同P10)ーこの「差」(同P9~10)こそが、力ない立場と力ある立場には存在するのです。力ある立場が力ない立場を対等にすることで初めて、この「差」(同P9~10)が埋まり、本当の対等・平等が実現すると考えています。
 もう1つ触れておきたいのは、ポジショナリティ(立場性/立ち位置・立場)です。交渉担当女性支援員の場合で言えば、女性ではなく支援員です。対等・平等にするならば就労支援であることを前提に、教育や指導、助言等をする必要があるはずです。これは力ある立場には相当の制限や縛りを掛けるという意味でもあります。それに対して、石川優実さんのポジショナリティはどうでしょうか。力ない立場(女性)と言えます(これは彼女自身が弱いという意味ではありません)。それは彼女のこのツイートから理解できます私はいつか女性が仕事でヒールやパンプスを履かなきゃいけないという風習をなくしたいと思ってるの。(略)なんで足怪我しながら仕事しなきゃいけないんだろう、男の人はぺたんこぐつなのに。』(同P7)。そこから#KuTooが始まり、様々なバックラッシュを受けながらもChange.orgでの署名キャンペーンで署名を集めたり、厚生労働省に要望書を出すなど、力ない立場(女性)から運動していることは一貫しています。
 ここまで力ない人(立場)と力ある人(立場)の関係性や「差」(同P9~10)ポジショナリティ(立場性/立ち位置・立場)の視点から考察しました。交渉担当女性支援員と石川優実さんという2人の女性を比較した場合、これら3点が理解できているかで言動に違いが出ることを強調しておきたいと思います。なので、石川優実さんの著書はこれら3点を集約しているという点で優れていると考えています。私は男性の1人であり、フェミニストと名乗る気は毛頭ありませんが、これら3点をこれからも大事にしていきたいと思います。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。

参考文献:石川優実著『#Ku Too(クートゥー) 靴から考える本 
     気のフェミニズム』(現代書館)


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